自己紹介文
名前:落合 陽
誕生日:1982.5.13
身長:180cm
体重:73kg
投/打:右/右
出身:神奈川県海老名市
経歴:海老名中学校
向上高等学校
青山学院大学法学部卒
球歴:1992 海老名ダックスズ
1993 〃
1994 〃
1995 港東シニアリーグ
1996 〃
1997 〃
1998 向上高校硬式野球部
1999 〃
2000 〃
2005 Japan Samurai Bears(GBL)
2006 Kitchener Panthers (ICL)
2007 Florence Freedom(FL)
Anderson Joes(SCL)
2008 F/A
2009 Blythe Heat(AWL)
2010 F/A
2011 F/A
指導歴:Y'sアカデミーヘッドコーチ
海老名シニア臨時投手コーチ
スポーツマジック所属コーチ
アスリートブランド所属コーチ
MJアスリート臨時アシスタントコーチ
野球教室:高部屋少年野球部
日大三中野球部
海老名ダックスズ
相武台イーグルス
CM出演:
三ツ矢サイダーオールゼロ 『向井理vs田中将大篇』
NTTフレッツ光ライト『スーパープレー編』(イチロー)
JT Rootsアロマインパクト
『デビュー篇&鳶のジョー篇』(玉山鉄二他)
LOTO6『野茂英雄vs勝又篇』
読売新聞『取材する力篇』
KIRINのどごし<生>『草野球篇』 (山口智充・京野ことみ)
JT Rootsアロマインパクト
『スペシャルな男篇』(玉山鉄二他)
スタンドイン役:
SMBC日興証券『世界が動く篇』(イチロー)
NTT西日本『さぁ、行こうぜ!篇』(イチロー)
NTT西日本『顔でつながろう篇』(イチロー)
SMBC日興証券『シンボリックプレー篇』(イチロー)
炎の体育会TV
PV出演:『もんじゃい・ビート』(関ジャニ8)
トークイベント出演:
『さよなら勝又』(松岡シュウゾウ他)
ゲームカフェ&バー『Ninety.』
第47回プロ野球ナイト
書籍掲載:『ケガに打ち克つメンタルトレーニング』 高橋 浩一
代理人:N/A
『プロフィール』
1982年
神奈川県海老名市に生を受ける。
1984年
父の仕事の関係でアメリカ・ノースカロライナ州に移り住む。
1986年
日本に帰国後、親子三代甲子園の道が始まる。泣きながら練習に連れ出される。
1992年
期待に胸ふくらませ、地元の少年野球チームへ入団する。
1993年
ピッチャーとしての野球人生が幕を開ける。
1994年
負けすぎでJリーグに心が移る。「やる気がないなら帰れ!」と怒鳴られ帰宅する。
1995年
勝つ野球がしたいと強豪クラブに入団。血と泥にまみれた地獄のような日々が始まる。
1996年
野村克也氏の助言のもとサイドスローへ転向。直後の全国大会で0点に抑える。
1997年
全国ベスト4の強豪校に入学が決まるも寸前で取り消され、早々に甲子園への“夢”をあきらめる。
1998年
地元の私立高校に一般入試で合格。野球部に入部するもバイトを始める。
1999年
背番号1を獲得するも茶髪がバレはく奪される。お前に二度と「1」はやらないと職員室で宣言される。
2000年
先発した夏の初戦で敗戦投手となり親子三代甲子園の道が途絶える。野球を一度引退する。
2002年
本気で大学受験を決意し山梨県の山中に移り住む。雪が積もりすぎて下山できなくなる。
2003年
20回目の受験でようやく大学に合格し弁護士を目指す。
2005年
突然大学生活に疑問を感じ2週間後に海を渡る。侍ベアーズに入団しいきなりプロ契約を果たす。
2006年
ビザの取得が上手く行かず急遽カナダに渡る。最初のチームを1週間で追い出され、2チーム目で契約を勝ち取る。
2007年
正式にプロ野球選手として米独立リーグのマウンドに立つ。デビュー戦でめった打ちに合い即日解雇される。
2008年
肩痛に苦しみトライアウトに全滅。初めて浪人生活をおくる。
2009年
復活登板するも故障者リスト入りし帰国後手術を受ける。足かけ8年かけ大学を卒業する。
2010年
リハビリを続ける傍ら、野球の家庭教師としてプロの指導者となる。
2011年
リハビリを続ける傍ら、CMやPVの仕事に挑戦する。生まれ育った海老名をはなれ渋谷に移住する。