« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »

2006年8月31日 (木)

肺炎!?

 今、総合病院の診察を終えて帰宅しました。実は、4週間前から咳が止まらず一度近くの病院で見てもらい薬をもらったのですがそれでも治らず、絶対「肺炎」だと思って今日は大きな病院に行ってきました。おそらく、原因はカナダから帰国する途中に寄ったシカゴのオヘア空港で大量のほこりを長い時間吸っていたからだと思われます。なぜなら、空港でパソコンを使う場合掃除用に使われる通路のコンセントを利用しなければならず、みんな通路脇に座り込んでパソコンを使用するため通行人がまき散らすほこりを大量に浴びてしまいます。ぼくも、パソコンや眼鏡に大量のほこりが付いているのに気づきましたが、2時間半の待ち時間を早く経過させるにはこれしかないと思って強引にパソコンをやり続けていました。そのため、飛行機に乗る頃には喉が痛くなり、日本に着いたときには咳が止まらなくなってしまいました。完全に自業自得です‥。昨日、肺炎経験者の話を聞いて症状が似ていたので間違いないと思い込んでいましたが、今日の診断は『気管支炎』ということでした。運動に支障が出ることだけは避けたかったので一安心ですが、とりあえず良くなるまでは安静に過ごしたいと思います。みなさんも、ほこりの吸いすぎには注意しましょう!

| | コメント (0)

2006年8月29日 (火)

キャッチボール

_512_6 ぼくは、去年から少年野球で小学生に野球を教えている。そして、子供たちとキャッチボールをしながらよくこんな質問をする。「平日は何をやってるの?」とか「家族とキャッチボールする?」とか。答えは「友達と遊ぶ」とか「塾に行く」などいろいろだが、土日以外はボールを握らない子がほとんどらしい。いつも、このような答えを聞くとなんだかさびしい気持ちになるのだが、最近は少子化やマンションブーム、空き地の減少やテレビゲームの流行などで、鼻水をたらして外を走り回る時代では無いということなのだろう。でも、いつの時代であろうと、野球の原点は父との『キャッチボール』なんだと気づいてほしい。

 ぼくの父は、自分が野球選手だったこともあり、幼少の頃からぼくたち兄弟を連れ出してキャッチボールをしていた。最初は、自宅前の道路でほんの5~6メートルの距離で兄弟交互にボールを受け取っては父に向かって力いっぱいボールを投げ返していた。当時はまだ、フォームやコースなんて考えずにがむしゃらにボールを投げていたが、それでもみんなで野球ができることが楽しくてしょうがなかった。今振り返ってみても、これで良かったのだと思う。野球の技術なんて中学や高校へ行ったら嫌というほど教え込まれる。だから、小学校のうちはこれから生涯に渡って野球を続けるために野球の楽しさやすばらしさを存分に感じさせるべきなんだ。だから、ぼくもそうやって野球の楽しさを知り、自宅前から始まったキャッチボールがもっと大きな通りへ出て、それでも足りなくて近くの空き地に行ってという具合にどんどん上達していった。

 また、キャッチボールの魅力はそれだけではない。考えてみれば、親や兄弟と長い間面と向かって何かをすることなんてそうはないだろう。だから、キャッチボールをしていると、相手の表情や行動が随時目に入り、相手の調子や欠点がすぐに見えてくる。ぼくたち家族も、子供の頃は学校であった事や友達の事を話していたし、大きくなれば自分の良いところや悪いところ、球筋やボールの回転にいたるまで何でも話すことができた。そうすると、家族のコミュニケーションは自然と増えるし、悩みなんて全部解決されてしまう。ぼくがこうやってピッチャーを続けられるのも、幼い頃から毎日のようにキャッチボールに連れ出してくれた父といつもぼくのキャッチャーをかって出てアドバイスをくれた兄がいたからだと思う。

 こういう経験があるから、ぼくは毎週こどもたちのところへ行き野球の楽しさやキャッチボールの大切さを教えている。キャッチボールが終わった後のあの充実感は、涼しい部屋でゲームをやった後には決して味わえないものだと思う。最近は、確かに忙しかったり場所がなかったりするけど、その合間を見計らって少しでもキャッチボールができればきっと野球が上手くなるし野球を楽しめるようになる!と言いながら、ぼくも嫌々キャッチボールをした時期があったんですけどね(笑)。今では、それでも連れ出してくれた父や兄に感謝しています。

 

| | コメント (0)

2006年8月 9日 (水)

Dream ―夢―

Cimg8217_512_1 ぼくが、野球を始めたのは小学校3年生の春。今でもそのときのことははっきりと覚えている。父親とお風呂に入っているとき、兄が所属している少年野球チームの監督から電話があり「弟もやってみないか?」と誘われた。そのとき、ぼくはとてもうれしくてすぐに「やります!」と答えた。それから10年、ぼくは野球が大嫌いになっていた。野球をやっていたことを恥じて経歴を隠すことさえあった。なぜなら、ぼくがやってきた野球は、テレビで見ている野球とはまったく違うものだったからだ。当時、ぼくはL.A.ドジャースのエースとして全米にトルネード旋風を巻き起こす“野茂英雄”の姿を食い入るように見つめていた。

ぼくが、野球を本格的に始めたのは小学校3年生のときだが、幼稚園に入る頃にはすでにボールをにぎって父とキャッチボールをしていた。そのため、4年生のときにはレギュラーを獲得し、同級生に負けることはなかった。しかし、チームがあまりにも弱すぎた。1年で公式戦に1勝できるかどうかというレベルで、野球を楽しめる状況ではなかったのだ。打たせて取れば野手がエラーし、出たランナーにけん制球を投げれば後ろにそらす。試合中に、チームメイトを罵倒することもしばしばあった。この時点ですでに、ぼくは野球に嫌気がさしていた。でも、ぼくはやめられない。なぜなら、ぼくは野球の“サラブレッド”だから。ぼくの家族は、祖父と父が甲子園に出場し、ぼくが甲子園に出場すれば親子3代になる。これは、とても名誉ある記録だから、これを達成するのがぼくの宿命だと小さいときから聞かされていた。ぼくも、その記録を達成したかったから、中学では日本一強いチームでやりたいと親に頼んだ。野球の神様を信じて‥。

そして、ぼくが選んだのは「港東シニアリーグ」というチームだった。このチームは、この年まで4年連続全国優勝に輝いた名実ともに日本一のチームだ。オーナーを野村沙知代、総監督はあの野村克也が務め、その他にも多くのプロ野球関係者が指導しにやってくる。練習は神宮室内練習場と多摩川巨人軍グラウンドを使用し、各地から一流の選手が集まってきていた。これで野球が楽しめるとぼくは確かな手応えを感じていた。しかし、またしても野球の神様はぼくにほほ笑まなかった。そこでは、想像をはるかに超える根性野球が繰り広げられていたからだ。ミスをすれば鼓膜が破れるまで殴られ、声が小さければバットが折れるまでケツをたたかれた。パンツ1枚で街中を走らされ、嘔吐するまで飯を食わされることも当たり前のように行われていた。ぼくは、そんな練習に必死で食らいつき、泥だらけの顔で電車に乗り込み床に座って野球道具を磨いた。それでも、ぼくはがんばれた。その先に“甲子園”が見えていたから。そして、ぼくは3年間やり抜いた。このチームを卒業すると名門校への推薦を得られるからだ。しかし、引退試合後のミーティングでぼくは彼女にこう言われた。「もし、推薦が欲しければ体重をあと5キロ増やせ!」と。頭が真っ白になった。なぜなら、ぼくはこれより少し前に体重を1週間で5キロ増やし、自宅謹慎がとけたばかりだったからだ。体重検査では、パンツの下に何か隠していないかと疑われ、彼女を前にして裸で体重計に乗せられる。こんな屈辱を2度も受けてまで彼女に頼るつもりはなかった。そして、気づいたときには荷物をまとめて車に乗り込んでいた。15歳のぼくにできる最初で最後の抵抗だった。こうして、ぼくは推薦を失いチームを去った。甲子園出場を誓って‥。

そして、進路を決めるときが来た。ぼくは、父の母校「前橋工業高校」で野球がしたいと頼んだ。「前工」と呼ばれるこの学校は、この年まで2年連続夏の全国大会ベスト4に輝き、甲子園常連校の名にふさわしい成績を残していた。父も快く承諾してくれ、2人で群馬県までトライアウトを受けに行った。そして、監督から入学許可をもらった。そのため、他の高校への推薦もあったが断ることにした。新しい環境になれば野球が楽しめる。そう期待して入学のときを待っていたぼくに1本の電話が入った。中学卒業を間近に控えた冬のことだった。その内容は「あなたには当校に入るための入学資格がないことが分かったので、今までの話はなかったことにしてくれ。」というものだった。三度野球の神様はぼくに試練を与えた。そして、行き場を失った。もう、甲子園への夢はあきらめてしまおうかと本気で考えた。でも、あきらめられない。あれは家族と誓った“夢”だから。そして、何とか一般入試で「向上高校」に入学した。決して弱いチームではない。しかし、雑用や上下関係、いじめや暴力など野球以外の負担が多すぎた。「甲子園へ行こう!」なんて言おうものなら鼻で笑われる。いつしか、ぼくは夢を隠すようになっていた。そして、最後の夏、ぼくは敗戦投手となり2回戦で敗れた。努力が足りなかったのか運が悪かったのかは分からない。でも、きっと野球の神様はぼくのことが嫌いなんだろう‥。そう思ってぼくは野球を辞めることにした。小学校の文集で書いた“夢”のことなどすっかり忘れて‥。

そして、ぼくは勉強した。今まで勉強などしたこともなかったが、野球にくらべれば遥かに楽だった。失うものは何もないし、プレッシャーもない。そして、2年半毎日10時間机に向かって勉強し大学に入学した。しかし、新しくできる友達は今まで付き合ったことのない人達ばかりだった。部活もやらずにバイトをし、塾に通いながら遊んでいたような奴らだ。そんな奴らとぼくがうまくやっていけるわけがない。いつしか、自然と話を合わせ行動を共にするようになっていた。しかし、授業を聞きながら繰り返し浮かんでくることは「俺は、こんなことをするために野球をやってきたのか?子供の頃に描いた夢はなんなんだ?」ということだった。そして、大学2年の冬、ぼくは2週間で出発の準備をしアメリカへ渡っていた。独立リーグのトライアウトを受けるために。最初は戸惑った。どんな顔をして野球をやればいいのか、どんな態度で臨めばいいのかと。しかし、そんな不安はすぐに吹き飛んだ。みんな本当に楽しそうだったからだ。のびのびプレーしている姿や仲間と気軽にコミュニケーションをとる姿が次々と目に飛び込んでくる。これが、ぼくの求めていた“野球”だとすぐに直感した。それから1年半、ぼくはカナダで野球をやっている。そして、心から野球を楽しんでいる。何かに脅えることもなければ、何かに耐えることもない。ここでは、「野球を楽しむこと。野球を愛すること。」が最も大切なことなのだ。

  今回、ぼくはカナダに来ていろいろ考えさせられることがたくさんあった。過去の自分や現在の自分、そして将来の自分について。決して、過去を後悔しているわけではない。今では、あれがあったから今の自分があるのだと思えるようになった。このまま大学を卒業すれば安定した職業と収入を得られることは間違いない。でも、それを途中で捨ててまでぼくは週休100ドルのセミプロで野球をしている。「そんな野球好きがどこにいる?」と言われてもおかしくないだろう。間違いなく、ぼくは野球が好きなのだ。小学校の文集に、将来の夢は“メジャーリーガー”と書いたのを、今ではつい最近のように思い出す。きっとこのまま日本にいてごく普通の暮らしをしていたら、野球の楽しさや将来の夢に気づくことは一生なかっただろう。やっぱり、“夢”をあきらめるなんてそう簡単にできるもんじゃないんだ

| | コメント (1)

2006年8月 8日 (火)

ぶじ帰国

Cimg8237_512 ついに帰国しました。予定より30分早い到着でしたが、シカゴから13時間半の長旅は本当に疲れます。台風が接近しているということでしたが、フライト中は特にゆれることもなく悪天候を感じさせない着陸でした。ぼくは、いつも空港から高速バスで帰るんですが、今回は母親に迎えを頼み親戚のおばさんも来てくれたのでいっしょに帰ってきました。2~3日はゆっくりして、その後はバイトに復帰したいと思います。でも、まずは日本食が食べたいですね!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 7日 (月)

空のたび

03_512 いよいよ帰国の日です。土曜日に予約しておいたチケットで無事チェックインし、まずはカナダのトロントからアメリカのシカゴへ向かいます。このフライトは、1時間半ぐらいで定刻どおり到着したのであっという間でした。しかし、ここからが試練です。次のシカゴから東京成田への乗り継ぎ便はなんと5時間後、ひたすら空港の中で待たなければなりません。ぼくが、初めて一人でアメリカに行ったときは7時間待ちを経験しており、あの時は英語もまったく話せなかったし時間のつぶし方も分からなかったので泣きたくなるぐらい辛い時間だったのを覚えています。しかし、今回はご飯を食べたり買い物したりコンセントを見つけてパソコンをしたりと充実した時間を過ごせました。しかし、マックでハンバーガーを買おうと並んでいたとき、そういえばカナダ・ドルしか持っていないことに気づきます。もし、両替所がなかったらこのまま空腹で5時間待ちかと最悪のことを考えましたが、たくさん空港内を歩いてなんとか見つけることができました。20ドル分のカナダ・ドルを米ドルに両替したのですが、13ドルぐらいしかもらえませんでした。カナダは、物価が高いとずっと嘆いていたのですが、これだけ差があるとそうでもないんですね!カナダでマックのセットを買ったら7ドルぐらいしますが、アメリカなら4ドルもしません。物価どおりの価格というわけです。

ということで、ぼくは今シカゴから東京成田へ向かう飛行機の中でこの記事を書いています。ちょうど今太平洋のど真ん中を飛んでいて、あと5時間ぐらいというところでしょう。何度乗っても、空の旅は苦痛で仕方がないですね‥

| | コメント (0)

2006年8月 6日 (日)

打ち上げパーティー

Cimg8226_512 今日は、パンサーズのメンバー全員で打ち上げパーティーが行われました。場所は、もちろんファット・キャッツです。ぼくは、このパーティーの後トロント空港の近くにある『ミシソーガ』に住むハープの家に泊まることになっていたので、出発前に荷造りをすべて済ませ荷物を全部持ってからの出発となりました。2ヶ月とは言え、洋服や雑貨お土産などで荷物が増えたため、新しいバッグを買って全部で4つの大きな荷物となりました。

パーティーは、いつも来ないメンバーや選手のガールフレンドなども集まりとても盛大なものとなりました。そして、ビールやチキンをつまみながらダーツやビリヤードでみんな楽しんでいました。ぼくは、日本でビリヤードをやった経験が一度もなかったのですが、先日からビリヤードの得意なチーズがやり方とルールを教えてくれていたので、今日はベイクスの彼女と勝負してみました。でも、負けました。二人とも最後のボールを落とすところまで行ったのですが、最後は彼女のミラクルショットでゲームオーバー。最後は「グッド・ゲーム!」とお互いの健闘を称えて握手をします。しかし、ここで迎えのハープが登場しトロントへ向けて出発の時間となりました。ひとりひとりに別れの挨拶をし、しっかりと握手をして2ヶ月のキッチナー生活に別れを告げます。

でも、まだ終わりません。今度は、ハープの友達と待ち合わせをして大都会トロントのクラブへ向かいます。キッチナーやウォータールーのクラブには何回も行っていましたが、トロントはくらべ物にならないぐらい大きいしとても活気があります。そして、ハープの友達2人とイングランドから旅行に来ていたもう一人の友達5人でお勧めのクラブへ入ります。ぼくは日本のクラブに行ったことはありませんが、こちらは女の子のパワーが凄まじいです。ダンスも会話も圧倒的に女性リードで男性人は負けていました。そして、3時間ぐらい経ったところでみんな疲れ始めぼくのフライト時間も近づいてきたので、ここでクラブを出てハープお勧めのジャマイカ料理で腹ごしらいしお別れとなりました。

そして、朝6時半のフライトのため2時間前の4時半にハープが空港に送ってくれ、ぼくはカナダをあとにしました。最初は、新しい生活に慣れるまで苦労しましたが、終わってみればあっという間の2ヶ月でした。でも、本当にたくさんのすばらしい友達ができみんなやさしくサポートしてくれたので、とても寂しいです。でも、みんな日本に行くからと約束してくれたので、今度はぼくがサポートしたいと思います。みなさんご協力お願いしますね!

| | コメント (0)

2006年8月 5日 (土)

8日に帰国

02_512 今日は、フェアビュー・モールの中にあるフライト・センターで帰りの航空券を購入しました。本来であれば、帰りの航空券は日本で購入した往復チケットに含まれているのですが、ぼくが日本を出発するときには先の予定がまったく立たなかったため、とりあえず1ヶ月オープンチケットを13万円ぐらいで購入し入国していました。なぜなら、アメリカ同時多発テロ以来各国の入国審査はとても厳しくなっていて、ぼくのように一人でトライアウトを受けようとする場合、帰りの航空券が必ず必要になります。今回の入国審査でも、他の人よりはるかに多い質問責めに合い、メールやウェブサイトのコピーを見せてやっと入国できたぐらいです。なので、ぼくの帰りの予約は7月13日になっていてトライアウトに受からなければこの日に帰ろうと思っていたのですが、幸か不幸かチームと契約できてしまったのでプレーオフが終わるまで帰国できず、今日新たに帰りの航空券を購入しなければならなかったということです。しかし、予想以上に高いですねぇ~。やはり、カナダは冬が長いので短い夏は絶好の観光シーズンになるわけで、必然的に今は最も値段の高い時期になるわけです。だから、もう少しカナダでホームステイでもして寒くなるのを待とうかとも思いましたが、それでも同じぐらいの出費になるので仕方なく1588ドル(約174680円)のシカゴ経由往復チケットを購入しました。本当は片道で良いのですが、それでは更に高くなってしまうので、往復でいったんアメリカに入国しそれから日本に帰るという方法を受付のお姉さんが探してくれました。したがって、ぼくは9月1日にまたカナダへ来れるようになっているわけです。たぶん来ないと思いますけど‥そんな時間があったら働かなければこんな大金払えませんから!

| | コメント (0)

2006年8月 4日 (金)

ラストゲーム

Cimg8192_512 まさかの4連敗でぼくの今シーズンは終了しました。今日も、これまでの悪い流れを断ち切ることができず、8-3での完敗です。これで、ぼくたちパンサーズはプレーオフ・ファーストラウンドでの敗退が決まり、これが今シーズン最後の試合となってしまいました。思えば、6月22日にパンサーズのトライアウトを受けて以来24試合をチームと共に戦ってきましたが、ぼく個人の成績で言えば悔いが残るものとなってしまいました。思った以上に打たれてしまったからです。たしかに、こちらの野球は打撃優先で日本にくらべたらはるかに守備がおろそかです。これは予想以上でした。しかし、そのランナーをぼくが帰してしまうことが多かったのも事実です。野手のミスをすべて背負ってそれでも失点しない投手こそ一流選手なのです。しかし、いくつかの収穫もありました。まずは、ぼくの一番の特徴であるストレートがこのレベルで通用したこと。これを更に磨けばもっと上を目指せる可能性が高まると思います。あとは、スライダーでしょう。これは、相手バッターを驚かせるだけの威力がありました。これをオフシーズンの課題にしたいと思います。

このように、アメリカでの成功を目指すぼくにとって、今回のカナダでの経験はいろいろなことを気づかせてくれ課題を与えてくれました。それは、日常生活においても同じことです。また、心から野球を楽しむことができたし、更に上を目指す決意と自信を得ることができました。みんなには「来年も絶対戻って来いよ!」と言われましたが、来年はここでやるつもりはありません。ぼくの最大の目標は『プロ野球選手』であり、それを目指すからには少しでも多くのお金を稼ぐ必要があります。

これでぼくの今シーズンは終了しますが、まずは突然の出発にも反対せずぼくの決断に賛成してくれた両親に感謝します。そして、キッチナー・パンサーズを見つけてくれたエージェントのヨシ、彼と連絡を取ってくれたチームメイトのベイクス、そしてぼくにチャンスを与えてくれた球団社長のラジーとGMのスキャッグスにも感謝します。多くのスタッフのおかげで、ぼくは今回のカナダ遠征をぶじ終了することができました。今は、みなさんへの感謝と充実感でいっぱいです。この経験を生かして来年も更にがんばって行きますので、応援よろしくお願い致します!と、挨拶はこのぐらいにして、その後は今シーズン最後を締めくくる大宴会になりました。クラブハウスでひとしきり盛り上がったあと、いつも通りファット・キャッツでラストスパートです。バーの店員さんともすっかり仲良くなりました。キッチナーには日本人は珍しいから覚えやすいみたいです。そして、今日も朝帰りとなりました。今こうやって記事を書いていますが、外はもう明るくなってきています。ということで、そろそろ寝ようと思います。おやすみなさい

ー写真は、左上からルームメイトのマット・ヒーグス・ゼム、下は左がベニーで右がベルジーー

| | コメント (0)

2006年8月 3日 (木)

雨が降り続く

Cimg8040_512 今日は、昨日雨で中止になった第4戦がナイトゲームで行なわれるはずでしたが、昨日からの雨が今日も降り続いたので中止になってしまいました。ぼくは、日本から傘を持ってきておらずこちらでも買っていないので、雨が降ると外にも出られず家でテレビを見ることぐらいしかできません。まあリスニングの勉強には最適ですけどね‥

天気予報では、明日は晴れるということなのでとりあえず1勝したいと思います。

ー今日の写真は、ぼくの部屋ー

| | コメント (0)

2006年8月 2日 (水)

プレーオフ第4戦

Cimg8117_512 今日は、第4戦がホームで行われました。しかし、5回を終わって6-1とリードされ万事休すと思われたそのとき、遠くの方から真っ黒な雨雲が現れあっという間にスタジアムを覆ってしまいました。その後、強風と大雨で試合は中止。幸運にも、明日始めからやり直しという形で試合が行われることになったので、まだどうなるかわかりません。

| | コメント (0)

2006年8月 1日 (火)

ロンドンが大手

Cimg8076_512 今日は、プレーオフ第3戦がアウェーで行われました。結果は、まさかの3連敗‥そして、6-0の完封負けです。もう後がありません。ファーストラウンドは先に4勝した方が勝ち上がりますので、ぼくたちパンサーズはロンドンに大手をかけられたということです。明日はホームで第4戦が行われますので、絶対に勝たなければなりません。

それにしても、今日は暑かった。こちらの夏は、暑いといっても30度を上回ることは今まで一度もなかったのですが、今日は35度まで上がりました。ぼくの部屋はクーラーも旋風機もありませんので、寝起きは汗だくです。というよりびしょびしょです。これからもっと暑くなったら、もう寝ることさえできなくなってしまいます。助けて!

ー写真は、今日の夕飯ー

| | コメント (0)

« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »