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2007年5月28日 (月)

ステップ1 書類

Cimg0313 今日は、ステップ1の書類を準備するため、在日アメリカ大使館のビザインフォメーションサービスに電話をしました。

驚くなかれ、通話料はなんと1回1500円!最大15分のリミット付きです。ひさびさ、電話1本に緊張しました。すべての質問をリストアップして、怒涛のラッシュで質問攻めです。

マイナーリーガー兼貧乏学生にはなんとも痛い出費となりましたが、代理店に頼むよりは遥かに安くすべての疑問点が解決しましたので、少しですけどまた一歩前進しました。

ここでのキーワードは、“I-797”。INSが出したビザ発行の許可通知です。この原本をぼく自信が面接の際に大使館に持参しなければならないとても重要な書類なんですが、今日問い合わせたところでは、何とこれがいつ誰宛に届くか定かではないと言うんです。

他の書類は、FAXやコピーなどで対応できるのですが、これだけはどうしても原本が必要なんです。そして、その後代理人が球団に問い合わせたところ、今週の水曜日ごろにアメリカの球団事務所に届いてしまうらしいんです。

ということは、その書類をメール便で郵送してもらわなければならず、届き次第面接の予約をするようになるということになり、やっぱり出発まではあと1~2週間かかってしまいそうです。

なんて適当な国なんでしょうねぇ~、アメリカは‥。ぼく宛に送れば簡単に手続きできるじゃないですかねぇ?

でも、まあ焦ってもしょうがないですし、シーズンも開幕してしまいました。もう焦りはありません!ぼくにはどうすることもできませんから‥。

今はただ、自分にできることでけに集中して全力で準備をするだけです。まだまだ、あきらめるわけにはいきませんからね!

それにしても、何であんなに高いんですかね?あの通話料

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2007年5月26日 (土)

ステップ 1

Captioner21958121_1 今日、監督のジェイミーから連絡があり、アメリカ側で申請していたビザの許可がついに下りました。

緊急発券料を支払ったものの、やはり申請から1ヶ月の時間を要し、チームはスプリングトレーニングを終了し現地時間の今週水曜日にシーズン開幕を迎えました。

とは言っても、これはビザ取得の第1段階であり、これからあと3つのステップを越えなければなりません。

本来なら、弁護士や申請代行会社にお願いして迅速で確実な手続きを行えば良いのですが、これにはぼくの1ヶ月分の給料が一発で消えてしまうぐらいのお金がかかりますし、将来、ぼくも代理人として海外を目指す若者のビザ申請を負かされるかもしれないので、ここは勉強と思いできる限り自分でやってみることにしました。

そこで、まずひとつ目のステップが申請に必要な書類をすべてそろえること。これが一番難しいです。もちろん、すべて英語の書類ですし、原本やらコピーやら自分で記入するものや球団からファックスしてもらわなければならないものなどたくさんあります。

しかも、この書類の種類はすべて記号で分けられているため、ぱっと見では何の書類を指しているのかさっぱり分かりません。

次に、その書類がすべて準備できたら、在日アメリカ大使館で受ける面接の予約を取らなければなりません。これも、「じゃあ明日で。」という分けには行かないので、都合のつく日の中で一番早く予約が取れる日を探さなければなりません。もちろん、予約がいっぱいならどんどん先延ばしになってしまいます。

ここで、はじめて審査が行われます。ぼくは、一度侍・ベアーズで今回とは違う種類の就労ビザを取得していますが、だからと言ってすぐに許可されるわけではなく、アメリカに永住する意思がなく絶対に帰国しますということを必死にアピールしなければなりません。

友達から聞いた話では、NFLのチアリーダーに合格した日本人が大使館に面接に行ったところ、なぜ30歳をすぎた君が5年もチアリーダーの就労ビザが必要なんだと怪しまれ、面接官の前で踊らされたそうです。しかも、つい最近のことです。

なので、ぼくもグローブとボールを持って行こうと思います!

ウソです!大使館のセキュリティーチェックは空港並みに厳しいので、即効で回収されてしまうでしょうね。

そして、そこで許可が下りれば、ステップ3で念願のビザを受け取ることになります。ただ、これも即日発行ではないので、通常1週間以内に自宅に郵送されるようになっています。

以上の手続きが終了し次第、航空券を購入し渡米となります。しかし、航空券の購入だってそう上手く行くものではありませんから、まだまだ、いつ出発できるか安心できない状況です。

今日は、申請手続きの相談にのってくれたEnglish Speakerのお二方、ありがとうございました。

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2007年5月20日 (日)

セルフモチベーター

87 今日はひさびさ少年野球の試合を見に行った。

少年野球はプロじゃない。プロであれば数字や結果が求められるのは当然だ。それが、彼らを評価する最も単純で正当な方法だから。

でも、子供たちに求められているのはそういったものではない。“試合を楽しめれば”それで良いんだ。

ただ、誤解してほしくないのは、楽しむといってもニコニコ笑いながらほのぼのプレーするという意味ではなく、一生懸命プレーして悔いが残らない試合にするということと、試合の方が練習よりも楽だと感じてほしいということだ。

うちのチームで言えば、個々の能力は明らかに相手チームを勝っている。練習量だって絶対に多いはずだ。なのに、試合ではいつも良いところなく負けてしまう。

それは、選手ひとりひとりが自分の能力を発揮する仕方を知らないからだ。

もちろん、それを引き出すのが指導者の役目かもしれないが、英語には“Self-Motivator”という言葉があって、どんなに優れた指導者でも、自分自身で目標に向かって努力することができない人間を助けることは難しいという考え方がある。

だから、なにも試合で120㌫の力を出せと言っているのではないんだから、試合で常に100㌫の力を出せるように、日ごろの練習で100㌫の力を出す練習をしなければいけない。

そうすれば、たとえ大事な試合で緊張やプレッシャーがあったとしても、90㌫や80㌫の力が出せれば悔いの残る恥ずかしい試合にはならないし、試合は絶対に勝てる。

そう考えれば、今日の試合は日ごろの練習どおり良くできたと褒めるべきなのかもしれない。ストライクが入らなければ置きに行こうとする消極的な姿勢やリズムが悪くなるとみんなそろって声が出なくなる雰囲気は、いつも練習で彼らがやっていることだから‥。

また、試合が楽に感じるにはどうしたらいいか?これはとても簡単なことで、試合で置かれる状況よりももっと辛い状況で練習すること。

かつて、アメリカでは、黒人差別が絶頂期を迎えていた1960年代に、初めて黒人主体の大学バスケットボールチームを作り全国制覇を成し遂げた伝説のチームがあった。そのチームの学生に「一番辛かったゲームは何ですか?」と質問すると、彼らは口をそろえてこう答える。それは「練習だ!」と。

たとえば、ピッチャーだったら、だらだらと100球投げ込みをするよりも9球連続でストライクが入るまで終わらないという投げ込みを10球や20球した方がよっぽど有効だし、試合で2アウト満塁の場面で3球連続ストライクを入れるなんてどうってことないと思えるようになる。

つまり、練習でそれぐらい緊張感をもち集中してプレーしていれば、大事な試合に負けられないというプレッシャーに押しつぶされることもないし、監督やコーチ、観客の視線なんて目に入らなくなる。

だって、自分はもっと辛い状況でいつも練習してるんだぜ!っと思えるから自然と声が出るし、100㌫全力でプレーできるようになる。それで、チーム全体が盛り上がって最高の勝利を掴めば、試合って楽しくてしょうがないでしょ?

試合だからって特別扱いして、普段やったこともないようなことをやらされているような消極的で体がちがちの姿勢で臨んでも、絶対楽しくないからね!試合は、日ごろの練習の成果をためす最高の舞台なんだからさ!!

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2007年5月18日 (金)

セルフラブ

先週受けたインタビューの記事が、本日発行の“タウンニュース”(海老名・綾瀬版)人物風土記に紹介されました。

これは、私たちの地元「海老名」やその周辺に在住し、多方面で活躍する人物を取り上げるコーナーで、地元にこんな人がいたのかといつも驚かされます。

また、この企画は、地元の少年野球や中学・高校で活躍する子供たちにぼくの活動を知ってもらい、さらなるチャンスと夢を持ち続けてもらおうと自ら投稿したもので、セルフラブ企画第一弾でもあります。

ぼくの友達の母は、“自分を愛せない人は、人を愛せない”と常々息子に語りかけているらしい。なので、自ら出版社に売り込んでしまいました‥。

みなさん、是非ご覧下さい!その他の地区にお住まいの方は、ウェブサイトでもご覧になれます。

http://www.townnews.co.jp/020area_page/03_fri/01_ebin/2007_2/05_18/ebin_jin.html

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2007年5月16日 (水)

イエローサブマリン

Captioner95282741  田島光はサブマリン投手だった。野茂英雄がアメリカに渡り、日本人が大リーグで活躍できることを証明する何年も前に、彼は海を渡っていた。

夏の高校野球を予選で敗退し、どうしてもっと楽しく野球をさせてもらえないのかと感じ、彼は大リーグのドラフト指名を目指してボストンへ向う。

当時は、まだ日本人が野球をやるなんて思われてもいなかったが、それでも地元のソフトボールチームから始まり、フロリダの野球アカデミー、アラスカのサマーリーグ、そしてマイナーリーグに参加し、彼は着実にステップアップしていった。

そして、彼は夢を叶える。最後まで決してあきらめなかったことと、野球を通じて多くの人に出会ったことが、そういう結果を導いたのだと思う。彼はチャンスに恵まれていたし、それを確実につかんでいた。

とは言っても、これはすべて架空の話。ぼくが人生で始めて読んだ小説“イエローサブマリン”から抜粋したものだ。

それにしても、なぜぼくの人生はこうも上手く行かないものか‥。もちろん、ぼくは世界一競争の激しいアメリカの野球界で生きていこうとしてるのだから、それも仕方がないことなのかもしれない。

毎日同じ電車に乗って、日々坦々とした業務をこなし、安定した給料をもらう。まわりのみんなは「好きなことやってお前は幸せだな。」と言うけど、「君たちの方がよっぽど幸せだよ。」と突っ込みたくなるときがある。

今のぼくには、みんなと違う電車に乗って早く職場にたどり着かなければならない。そこで毎日結果を残さなければ明日にでも首を切られる危険がある。そのために、毎日休まず練習してるのに、なぜいつもこういう展開になるのだろう‥。

見たくもないのに、ぼくのメールボックスは不幸のメールでいっぱいだ。今日もひとつお友達が増えました。やっぱり書かれる“problem”の文字。嫌な予感的中です!

今日、球団がINS(米国移民帰化局)に問い合わせをしたところ、一次審査が終わるのが早くても来週の末ぐらいになりそうだとのこと。この審査が終わったあと、日本側から申請をし、アメリカ大使館で面接をし、その後数週間でビザが正式に発行されるというのに。

ということで、開幕ベンチは絶望的です。そして、去年に引き続き途中入団となりハードルはかなり高くなることが予想されます。なんだかこんな展開を素直に受け入れられるようになった自分を褒めるべきなのかどうなのか?もっと実力があれば良いのでは??

でも、田島光ならこう言うでしょう。「メジャーのマウンドに立っている自分だけを想像してろ!お前も球場に向かう車の中で、自分の昇格を伝えるラジオ放送を聴きたいんだろ?」と。

みなさんも一度読んで見て下さい!山際淳司著作の小学館から出ています。

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2007年5月 9日 (水)

キャンプイン

Frame9494341 「isonodai.avi」をダウンロード 「Isonodai2.avi」をダウンロード 「Isonodai3.avi」をダウンロード

☆対象をファイルに保存するか最新のWindows Media Playerをインストールしてからご覧下さい。

ビザの申請手続きをしてから早2週間が経ちました。いまだ政府からの許可が下りぬまま、日本時間の今日、フローレンス・フリーダムはスプリングトレーニングを開始しました。

また、今回フロリダのトライアウトで知り合いキャナム・リーグのケベック・キャピタルズでのキャンプ参加が決まった“内田君”も、今日カナダのトロントへ向けて出発しました。

こればかりは、本当にいつ許可が下りるか検討も立たず、また約1000㌦の緊急発券料を支払ったものの、通常がどの程度で緊急発券料を払えばどの程度短縮されるかという基準もまったくありません。

このままでは、シーズンが開幕する5月23日に間に合うかどうかといった状況になってしまいますが、とにかく今は黙って待つことしかできません。

開幕寸前で渡米することを想定し、今はできるだけ毎日40球程度の投げ込みをし、おそらく“セットアッパー”での起用に答えるべく、今は毎日ブルペンに入れるよう筋肉にスタミナを付けているところです。

幸運にも調子は上向きな状態にあります。春先は、体のキレも悪く、肩や肘を痛めてしまうなど一時はどうなることかと思いましたが、やはりシーズン開幕を控え気候が暖かくなってくると自然と体やボールのキレが良くなってくるんですねぇ~。知りませんでした‥。

まあ、この3年間じらされることばかりでしたから、今回も神様に祈りつつ、いつでも出発できる準備を全力でして行きたいと思います!

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2007年5月 2日 (水)

18年振り

Frame75961211 最近、「なぜアメリカなの?アメリカじゃないとダメなの?」と聞かれることがよくある。

もちろん、アメリカは世界最高峰の野球大国だし、アメリカ人の気質や文化もぼくの性格には合っている。でも、そういえば、いつごろからぼくはアメリカを目指すようになったのだろう‥。

自分でもはっきりとした答えは分からないが、おそらくそれは子供のころの経験が大きかったのではないかと思う。

ぼくは、父の仕事の都合で、2歳から4歳までの2年間をアメリカノースキャロライナ州ローリーで過ごしている。そのときの記憶がはっきりとしているわけではないが、物心つくころには、アメリカの文化や歴史、言語に自然と触れる機会を与えられていた。

そのときのぼくはというと、実は母に抱っこされるか家で飛び回っているかで、決してアメリカの生活に溶け込んでいたわけではない。しかし、3歳になって、兄の通うセントマイケルズ幼稚園に入学してからは、英語で授業に参加して、幼稚園のイベントに参加して、周りの友達と一緒に遊ぶようになった。

このとき覚えた英語は、その後の日本の生活でほとんど忘れてしまったのだが、発音や舌の使い方は今でも自然とできるようになっており、体で覚えたものは以外に忘れないものらしい。

それから18年、ぼくは日本の学校に通い、そのほとんどを野球に捧げ、野球漬けの毎日をおくった。言葉とともにアメリカでの生活などすっかり忘れ、まさか自分がアメリカの野球に挑戦することになるなんて思ってもみなかった。

しかし、転機は突然やってきた。兄の大学卒業記念として、家族全員で18年ぶりにかつての我が家を訪れることに決まったのである。今となっては、飛行機やホテルの手配など自分で行い、試行錯誤しながら安く良いものを手にいれようと努力しているのだが、このときは、ごく平凡な家族旅行という感じで到着するまで自分がどこに行くのかも知らず、ただ家族に引っ張られて連れて行かれたようなものである。

しかし、ローリー、ニューヨーク、サンフランシスコと大都市を回るにつれて、ぼくの人生観は大きく変わった。ローリーの閑静な町並みやニューヨークの高層ビル群、サンフランシスコ港の活気を肌で感じ、アメリカが持つそのパワーとインパクトに大きな衝撃を受けた。

そして、そのときぼくは、この国で認められこの国で成功したいとすぐに思った。アメリカには、全世界から移民を引き付ける何か独特なエネルギーがみなぎっているような気がする。そうやってみんな海を渡るのだろう‥。

ただ、そのときのぼくには、何で成功をつかめばいいのかという明確なビジョンはなく、ただ漠然とそこらへんの観光客と同じように、自由の女神を眺めながら「デカっ!」とか言って帰国したのである。

その後は、語学留学をしようか、外資系企業に就職して転勤をしようかなどアメリカに行く手段をあれこれ考えてみたが、やはりぼくが自信をもって誇れるもの、そしてあの超大国に衝撃を与えられる唯一のものは“野球”しかなかったのである。そして、2週間で出発の準備を整え、独立リーグのトライアウトを受けに海を渡ったのである。

いったん引き付けられたら止まらないのが、ぼくの性格である。一度アメリカの文化や社会を経験すると、日本の文化や社会のいたるところにストレスを感じてしまう。だからといって、日本が嫌いとかアメリカが一番というのではなく、ぼくがもっとも野球を楽しめる環境がアメリカのボールパークにある、ただそれだけである。

もちろん、日本でプレーするチャンスがあれば挑戦してみたいと思うが、きっと日本のマウンドに立っても自分の良さが出ないだろうと思っている。いずれはもっと大人になりたいと思うが、今はまだあのマウンドの変なプレッシャーが嫌いである。

そういう分けで、ぼくはアメリカにこだわっているのかも知れない。でも、その本当の理由がわかるには、もう少し時間がかかるだろう‥。

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