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2007年7月 3日 (火)

respect

Dscn1450 今日、いつも通りクラブハウスに行ったら、ぼくの背番号が変わっていた。1ヶ月間とはいえ、自分の背番号には愛着を感じていたので少し寂しかった。

選手の入れ替えなどで自分の背番号が変わることは良くあることだが、その番号を見てビックリした。今までの♯17から今回新しくもらったのは、なんと♯42。あのジャッキー・ロビンソンが付けていた番号だ。

“Jack Roosevelt Robinson”ことジャッキー・ロビンソンは、黒人初の大リーガーとして知られ、有色人種のメジャーリーグ参加の道を開いた伝説のプレーヤーである。

彼がいなければ、最多本塁打のハンク・アーロンも我らが野茂英雄も、もちろんこのぼくも野球選手としてこの国に存在していなかったであろうことは簡単に想像がつくぐらい、アメリカ社会に、そして全世界に影響を与えた人物だ。

第2次世界大戦以前のメジャーリーグは、白人選手のみで行われ、黒人選手はニグロ・リーグという黒人のために作られたリーグでプレーしていた。まさに、人種差別絶頂の時代と言える。

しかし、まだL.A.ドジャースがニューヨーク州のブルックリンという街にあった時代、当時の会長ブランチ・リッキーは、優秀な選手と黒人市場を求めてニグロ・リーグの選手をメジャーリーグに参加させようと考える。

そこで、スカウトされたのがジャッキー・ロビンソンであった。もちろん、彼以外にもニグロ・リーグには優秀な選手がたくさんおり、成績や実力だけなら彼の名前は挙がらなかった。

しかし、彼には、彼の参加によって当然受けるであろう黒人に対する誹謗・中傷、人種差別に絶えるだけの忍耐力があった。そして、その人間性を高く評価された。

おそらく、この忍耐力は、現代の私達がもつ力の数百倍ものパワーであっただろうと思われ、当時においても、あの“世紀の大実験”に耐えられるのはジャッキー・ロビンソンしかいなかったと言われている。

そして、1947年4月15日彼はメジャーリーグにデビューする。しかし、案の定彼の自宅には連日のように脅迫状が届き、観客からは凄まじいほどの野次が飛んだ。

チームメイトの中にも彼とのプレーを嫌い移籍する者や試合を拒否する相手チームの選手も多く見られた。

それでも、彼は決して報復することなく、いつでも紳士的に振舞うことを求められた。そして、一生懸命プレーした。

その結果、彼はチームの優勝に大きく貢献し、この年に制定された第1回目の新人賞に選出された。そして、徐々にチームメイトや観客、そして白人社会に認められたのである。

そう考えれば、今ぼくがやっていること、そして我慢していることは、彼が受けた者に比べればはるかに小さい。本当にちっぽけなものだ。彼のおかげで、ぼくは今差別されることも脅迫されることもない。

だから、彼があの時必死に耐えて我慢して、そして現在の私達に残してくれたものをぼくたちは無駄にしてはならない。そして、次の世代の子供達に伝えて行かなければならない。

だから、ぼくは今日から絶対に弱音を吐かないと心に誓った。どんなに辛い道もどんなに険しい山も絶対に越えてみせる。だって、ぼくの背中をあのジャッキー・ロビンソンが押してくれているんだから‥。

この♯42という数字は、現在大リーグ全球団で永久欠番となっている。これからデビューするメジャーリーガーは、誰ひとりとしてこの番号を背中に付けることはできない。

そのぐらいこの番号は、重く大きな番号なんだ。ぼくは、心から彼を尊敬している。本当にありがとう。

そして、彼のビデオを貸してくれた貴士へ、ありがとう!

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コメント

素晴らしい意気込みだと思います。ジャッキーロビンソンについても短い回文章ながらどんな人物かが伝わってくるものがあります。背番号42で再デビューを期待しています。私もジャッキーロビンソンについて取り上げようかと思っていたのに先を越されました・・・。

投稿: backdrop | 2007年7月 3日 (火) 22時18分

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