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2007年8月31日 (金)

Learn by Experience

Dscn1759 一夜にして時の人となるような人間は、もともとスパースターになるべく才能と潜在能力を兼ねそろえているものだ。

しかし、その他多くの人間は、毎日コツコツ努力をし、度重なる失敗を乗り越え、“経験”という最高の武器を手に入れながら、少しずつ少しずつ成功への階段を上っていく。

そうやって手に入れた地位につく人間は、一夜にして成功をおさめた人間よりも、それはそれは粘り強く確固たる地位を築くものである。

ぼくは、高校を卒業してから4年間、一度もマウンドに登ることはなかった。夢を語ることをあきらめ、別の道に進んだ負け犬だった。

しかし、突然の直感でアメリカに渡り、4年振りのマウンドでぼくは最高のピッチングを見せ、初めてプロ契約を結んだ。

しかし、意気揚々と迎えたスプリングトレーニングでリタイアし、ぼくは開幕直前にチームを去った。絶対にもう一度アメリカに挑戦してやると決意し、それから本格的にトレーニングを始めた。

そして、迎えた翌年の春、またしてもぼくは最高のピッチングを見せ、トライアウトに合格した。しかし、ビザの取得が難航し、開幕直前に契約交渉は決裂した。

『確かに、テストは上手く切り抜けたが、野球のシーズンは100試合以上をこなさなくてはならない。お前は4年間もブランクがあるんだから、まだまだプロとしてシーズンに参加させるわけにはいかない。』

テストに合格しながらシーズンに参加できない苛立ちはあったが、これがぼくの人生を左右する神様の判断だと、今は認識している。

そして、今年、三度トライアウトで最高のピッチングを見せ、今度は正真正銘プロ野球選手としてシーズン参加が許された。

『2年間も待ったんだ。その間たっぷりトレーニングも積んだし、投げる球も2年前とは見違えるように変わった。精神的にも大分強くなったし、この2年間を取り戻すべくすぐに結果を出さなければ。』

これが、知らず知らずのうちに抱いていた、ぼくの心の声である。

そして、迎えたデビュー戦、ぼくは3イニング大量失点でノックアウトされた。リベンジを誓ってトレーニングを続けたが、数日後に解雇。2度とその機会はやってこなかった。

練習生として過ごした1ヶ月半は、1人孤独な練習に耐え、来る日も来る日も観客席で試合を見せられた。

『まだまだ、お前には1シーズンを乗り越えるだけの技術と体力はない。過酷な環境で体をつくり、試合を見ながら技術を盗め。たくさん痛い目にあって、そこから多くのことを学べ。』

正直かなり落ち込んだし、自信もほとんど失ったが、これがたった一度でぼくを解雇した神様の意図だろうと今は感じている。

そして、訪れた2度目のチャンス。一日がかりの長旅をして、2度トライアウトを受けて、ようやく辿り着いた場所だった。

『残りのシーズンは1ヶ月を切った。万全の準備をしてきたし、もう怖いものはない。あとはピッチングに集中するだけだ。そうすれば、すぐに結果は付いてくる。』

これが、ぼくの意気込みだった。しかし、何度投げても失点する。思い切り投げても打ち返される。コンディショニングも上手く行かず、体中に痛みが走るようになった。

頭では分かっているのに、体がついてこない。そして、また、せっかく取り戻した自信が揺らぎ始める。この繰り替えしで、今シーズンは幕を閉じてしまった。

本当に悔しかったし、まったくの不完全燃焼で終わってしまった。やりたいことはもっとたくさんあったのに、チャンスを掴めなかった。ぼくの理想は、こんなはずじゃない。

階段を上りきった人たちからすれば、これこそまさに“経験”の道筋であると理解できる。どんな状況でも最高のパフォーマンスをするために、今は“経験”を積んでいる段階なのだから。

しかし、経験不足の人間からすれば、今まさにこの瞬間が将来の何に役立つのか定かではない。だから、すぐに階段を駆け上ってやろうと意気込むし、ときには何段か飛び越えてみようとする。

結局、ぼくの人生は、一段抜かしで階段を駆け上がることなんてできないんだろう。飛び抜けた才能も恵まれた肉体もないんだから。

ぼくは、アメリカ人に比べ体が小さく、スーパースターのような才能に恵まれなかったからこそ、人と違うところで勝負するために人一倍努力し、オンリーワンを求めて試行錯誤してきた。

2年間待たされたことで、今回はとくに焦りすぎたのかもしれない。すぐに結果を求めすぎたところもある。

だから、理想どおり行かないことでフラストレーションをため、自分をまったく評価してあげなかったことで、自らを追い詰めてしまった。

でも、『みんな誰だって失敗を繰り返して大人になって行くんだよ。今は階段の上にいる人たちだって、みんなお前と同じ経験をして上がって行ったんだ。』

そんな言葉が、とても心に響いた。もしかしたら、4年前のあのマウンドと比べたら、今回のこの成績も上出来だったのかもしれない。あのときは、何も知らなかったから。

この失敗をばねにさらなる努力を続ければ、後悔することも失敗の言い訳を口にすることもないはずだ。必ず、来年証明してみせる。

ぼくは、まだこの世界ではルーキーだから、何もかもが初めての体験で、戸惑いや不安、恐怖や困難がこれからも次々とやってくるだろう。

でも、その経験から多くのことを学び、決して上ることをあきらめなければ、きっとぼくも階段の上に行けるし、あのときの一歩が正解だったとわかるはずだ。

今回、多くのサポートをしてもらったのにも関わらず、みなさんの期待に答えられなかったことは本当に申し訳ないと思っています。

少なからず、子供たちの希望を後押しするだけの成果をあげられなかったことは深く反省し、次回に生かさなければならないと痛感しています。

今後は、みなさんに夢を与えられるような選手になれるよう更なる努力を重ねていくつもりです。どうか、それまでみなさんの愛とパワーをぼくにわけてください。

絶対に証明してみせます。誰だって夢は叶えられるということを‥。

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2007年8月28日 (火)

Last 3 Games

Dscn1843_2 今日は、ジョージア州メイコンという街に最後の遠征にやってきました。この3試合で、サウスコースト・リーグのレギュラーシーズンは終了します。

ぼくたちアンダーソン・ジョーズは、最後までもつれた2位争いに脱落し、残念ながらプレーオフ進出を逃してしまいました。この3連戦が、最後の試合になります。

来週からは、フローレンスのホストファミリーが旅行で家を空けるので、今週中には急いでフローレンスに戻ることになりました。

前回の遠征では、上手くインターネットに接続できなかったため、だいぶ更新が空いてしまい申し訳ありませんでした。

今後の予定が決まり次第、また報告したいと思います。

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2007年8月23日 (木)

Big Bear is Back

Dscn1839 今日も、相変わらず肩の調子が良くありませんでしたが、それでもマイクにもう一度ピッチングを見てもらいたかったので、志願してブルペンに入りました。

良くなってきたところと今までの癖が残るところとまだ完璧には程遠いですが、それでも大分前回より体に馴染んできてスムーズに投げることができました。

もちろん、新たな指導も受けましたし、毎回「違和感はないか?」と聞いてくれるので、彼にはとても感謝しています。

それから、シーズンも終わりに差し掛かり、みんなどこかしらに痛みを抱えているので、無料のメディカルチェックを土曜日に受けさせてもらえることがわかりました。

ぼくも、もちろん参加するつもりなのですが、なにせアメリカの病院は初めてなもので、しかも日本でもあまり病院にはお世話になったことがないので、ちゃんと説明できるか心配です。

そして、今日は突然の雷雨で試合は中止になってしまったのですが、相手チームにあの“セシル・フィルダー”監督が来ていたので、挨拶をしました。

ぼくの移籍に関する具体的な契約交渉は決まり次第報告しようと思っていたので、みなさんにはお話していませんでしたが、実はフローレンスを解雇されてからすぐに手をあげてくれたのが、今回の相手チーム“ポートシャーロット・レッドフィッシュ”だったんです。

このチームは、前半戦で断トツの最下位に低迷しピッチャーが不足していたことと、日本野球に理解のあるフィルダー監督が指揮をとっているということで名前があがりました。

結果として、ぼくはアンダーソン・ジョーズに入団したわけですが、フィルダー監督もぼくのことを覚えていたらしく、向うから「こんにちは、元気です。」と日本語で声をかけてくれました。

ぼくが初めて日本のプロ野球を見に行ったのが、横浜スタジアムでの大洋ホエールズ対阪神タイガース戦です。

そのとき、彼が阪神でプレーしていて、レフトスタンドに豪快なホームランを放ったのを今でも良く覚えています。

一部の情報では、彼は大洋戦にめっぽう強く、ホームランのほとんどを大洋から打っているらしいいです。

彼は、少し前にギャンブルで借金を作り失踪中との報道で騒がれましたが、確かに彼はレッドフィッシュで監督を務めていました。

彼は、もっとも有名な助っ人外国人のひとりとして日本でも良く知られていますが、もちろんメジャーリーグでもすばらしい成績を残しています。

3度のオールスターゲーム出場と1度のワールドシリーズチャンピオンなど、監督なのに誰よりも多くの歓声をファンから受ける偉大な選手です。

息子プリンス・フィルダーも現在ミルウォーキーで活躍する人気選手ですし、親子2代でスーパースターとはなんともうらやましい限りです。

ぼくも、サインをもらう立場から、早く頼まれる立場になれるようがんばりたいと思います。

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2007年8月21日 (火)

The Final Push

21 あまりにも情けないピッチングを続けるぼくに、今日ついにマイクピッチングコーチのメスが入りました。

一言で言えば、彼はすごい!これまでぼくが投げたたった3イニングのピッチングで、彼はぼくのフォームの問題点を9つも見抜いていました。

あごの向きからつま先の角度、肩や腕の傾きや体重移動のバランスなど、こんなところまで見ていたのかと驚くぐらいたくさん直されてしまいました。

今までも、ぼくは繰り返し「メジャーはすごい、メジャーはすごい。」と言ってきましたが、いったい何がすごいのか自分でも良くわからずに言っていたことに反省しています。

ただ、スピードが速いとかパワーがあるとかそんな漠然としたことは、テレビを見ていれば素人にでも簡単に分かることです。

しかし、彼のすごいところは、そのすべてが寸分の狂いもなく的確であるという点です。本当に数センチ、微妙な角度のバランスを丁寧に修正してくれます。

まさに、魔法をかけられたかのようにスピードが上がり、球が重くなり、キャッチャーミット目がけてバシバシと球が吸い込まれていきました。

また、筋肉のバランスも整えられ、今まで痛みが出ていた部分も大分違和感なく投げられるようになりました。

これがメジャー経験者のすごいところなんじゃないでしょうか。マイナーからはい上がるために試行錯誤し、観察し、勉強し、ピッチングのすべてを理解していないとあんな見方はできないと思います。

正直、ぼくのピッチングフォームは、そんなにひどいものじゃないと誤解していましたが、9つも修正されると別人のように変わります。

今までのひどいピッチングがウソのように球筋が変わるので、マイクも驚いた様子で「いいぞ、その調子だ。」とほめてくれました。

ただ、確かに彼の指導は的確で投げづらさはひとつもありませんでしたが、アメリカンスタイルのフォームであることに間違いありません。

ですから、そのすべてが100パーセント自分の体に合っているとも言い切れませんので、この点は慎重に自分の体と相談し、しっかりと分析しないといけないなと感じています。

なので、これからたくさんシャドウピッチングをしてこのフォームを自分のものにし、日本人らしさを忘れずにお互いを融合させれば、また違ったピッチングができるのではないでしょうか。

こんなにすばらしい人と一緒に野球ができ直接指導が受けられるなんて、本当に幸せなことなんだなとあらためて感じています。

あと何試合投げられるかわかりませんが、まだまだぼくも見捨てられてはいないなと気が引きしまる思いで、彼らの期待に答える意味でももうひと踏ん張りしないといけないなと感じています。

もちろん、この経験はぼくだけのものではありませんので、日本に帰ったらみなさんにしっかりと教えられるよう、もっともっと勉強して帰りたいと思います。

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2007年8月15日 (水)

Lack of Toughness

15 本当に情けない。こんなに多くのみなさんに支えてもらっているのに、どうしても結果が残せない。また、打たれてしまった‥。

今回は、7回裏2アウト満塁の場面で登板し、ホームランを含む5失点で降板となりました。たった16球で2度目の登板は終了です。

正直、ここまで自分の球が通用しないとは思っていませんでした。キャッチャーがうなずくぐらいのコースに決まっていても、左打者には打たれます。

もちろん、配球やコースなど技術的な問題もあります。ただ、これは毎回監督からアドバイスをもらっていますし、経験と共に理解して行ける部分が多くあります。

ただ、体が小さすぎることが、今の段階では一番の原因だとぼくは感じています。ぼくの体は、プロでやって行けるだけの充分な体ではありません。

春先のとても良かったコンディションが嘘のように、今はいろいろなところに痛みが出るようになりました。もし、シーズン中ずっと試合で投げていれば、今ごろつぶれていたでしょう。

もちろん、筋肉をたくさんつけてアメリカ人のようなパワーピッチングをしたいというのではなく、シーズンを通して常に健康な体でいられるタフな体が必要だという意味です。

50球以上のロングリリーフや連投をすると、どうしても体に違和感が生まれてしまいます。とくに、上半身の肩や肘は、ピッチングにとって大きな障害になります。

そのため、力と球威でバットを押し切るだけの全力投球ができなくなってしまいます。コースは決まっても打たれるのはそれが原因だと思います。

もちろん、ベストピッチングが常にできれば、ある程度の結果が残せることは事実です。トライアウトのときは、あらかじめ計算してベストの状態にもって行きます。

だから、自信をなくして、自分の今まで培ってきた技術をすべて否定しているわけではありません。

しかし、試合では、いつどんな場面でどのくらい投げるかなんて計算することはできません。それに備えて、いつでも最高の状態で行ける準備をするのがリリーバーの仕事です。

ただ、今のぼくにはそこまでの体力がありません。連投やロングリリーフのあとには、やっぱり疲労感や痛みが残ってしまいます。

そして、やはりプロの世界は、痛みをごまかして打ち取れるほど甘い世界ではありません。甘い球やミスピッチは、当然のごとく打たれます。

今回のホームランも、完全にぼくのミスでした。握力が弱くなったところで外に押し切れなかったシンカーが、インサイドに甘く入りました。

こればっかりは、じゃあ次回の登板で気をつけようというわけには行かないので、なんとも複雑なところです。

ウェイトトレーニングの効果が結果として出るには、本当に長い時間がかかりますし、辛抱強く続けて行かなければ何の意味もありません。

現在のルームメイトのクリスも、今でこそサイボーグのような肉体をしていますが、今の体を手に入れるまでに4年かかったそうです。

最初は、ぼくと同じ70キロだったらしいのですが、毎日ウェイトトレーニングを続け、プロテインやサプリメントを飲み、努力してここまで作り上げたそうです。

だから、ステロイドのような即効性のある筋肉増錠剤が使われてしまうんですね。今のぼくには、その気持ちが痛いほど分かります。

今シーズンも本当に残りわずかとなってきました。ここに来て、力不足の自分を痛感し、情けない気持ちでいっぱいです。

後悔だけはしないように、これだけは心がけて最後まで全力でがんばります。

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2007年8月14日 (火)

My Great Roommates

14 先日のジョーズデビューのご褒美として、監督からついに新しいアパートとベッドルームをもらいました。

この半月は、毎日ソファーで寝て、荷物の置き場も部屋の片隅で、なんとなく肩身の狭い思いをしていましたが、それでも彼らと一緒に生活できるならこのままでもいいと思っていました。

しかし、やはりプロとしてピッチャーとして、試合に向けて良いコンディションを作らなければならないのはあたりまえのことです。

聞いた話では、ボストンの松坂投手も、ホテルでは腰を痛めるからベッドではなく床で寝ているそうです。

一流の選手は、野球と直接関係がなくても、試合で良いプレーができるよう日ごろから些細なことでも気を使うべきだと本にも書いてありました。

そこで、ぼくも引越しをすることにしました。引越しを決めたもうひとつの理由に、新しいルームメイトの存在があります。

なんと、あの“デジィ・ウィルソン”と一緒に生活できることになったんです。

デジィと言えば、サンフランシスコ・ジャイアンツと阪神タイガースでプレーした選手。日本とアメリカで経験した野球の違いやぼくの課題である左打者への攻め方などたくさん勉強できます。

そして、彼はとにかく体がデカい。スポーツオーソリティに置いてあるアンダーアーマーのまねきんをはるかに越える肉体で、180センチのぼくが見上げるぐらい大きいです。

彼は、もうすぐ40歳を迎える年齢で体は衰えが進んでいますが、それでも毎日グラウンドへ出て、足を引きずりながら走る姿はとても感動的です。

決して手を抜かない姿は尊敬に値しますし、どれだけ野球が好きなのかがすごく伝わってきます。ぼくも、腕が上がらなくなるまで全力でボールを投げようと思いました。

そして、その日の夜は、ふたりで肩を抱き合って帰ったわけですが、次の日なんとデジィのトレードが発表されたんです。彼は、同じリーグのサウスジョージアに移ることになりました。

残り少ないシーズンですが、前半戦で優勝しプレーオフ出場を決めているサウスジョージアで、チームを助けることになったそうです。

たった2日で、夢のような生活は終わってしまいました。もっと聞きたいこと、もっと話したいことがいっぱいあったのに少ししか話せなくて残念です。

でも、この2日間で、彼の食生活や就寝時間、空調管理など盗めるところはすべてチャックしておきました。できれば、もう少し一緒にいたかったです。

そして、今朝、彼の出発を手伝って、彼はジョージア州アルバニーへと旅立ちました。彼は、来年監督としてまたこのチームに戻ってくるらしいので、来年また会おうと言ってくれました。

ただ、それまでにもっと体を大きくしてくるんだぞとやっぱり忠告されてしまいました。

チームメイトからは、毎日のようにお前はステロイドが必要だと言われていますが、このオフはまたウェイトトレーニングをして体を大きくしたいと思います。

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2007年8月13日 (月)

Unlucky Pitch

13今日は、出発前に家で監督から配球の指導がありました。予想外な内容だったのですが、結果的にこれが今日一日の命運を分けました。

本当に、ぼくは幸せ者です。経験豊富な彼らとルームメイトでいられることは、毎日がぼくだけの特別講義です。

そして、今日先発のダラスが4回を終わって5失点と打ち込まれたため、ついにぼくの出番がやってきました。

ぼくは、フローレンスでのデビューの時をはっきりと覚えているのですが、あのときは本当に余裕がありませんでした。

もちろん、緊張もしたしすぐに肩を作らなければいけないと焦りもしました。また、初登板で良いところを見せてやろうと力んだりもしました。

しかし、今回は前回の反省を良く生かせたと思います。焦るときこそゆっくりと、やらなければならないことに集中する。今日は、ブルペンでもマウンドでもしっかりそれができました。

ただ、数字では結果が残せませんでした。ぼくらしいと言えばそれまでですが、どこへ行っても相変わらず運のないどこか抜けているところは変わりません。

初回は、3人できっちり抑えましたが、次のイニングで、アンラッキーなフライや内野安打、エラーでランナーを貯め、最後にライトオーバーを打たれ3失点で交代となってしまいました。

どんな形であれ失点したのは自分の責任ですし、最後に我慢しきれなかったのは自分の力不足です。これは、誰のせいでもなく自分で責任を取らなければなりません。

しかし、全投球の中で思い通りに行かなかったのは2球だけで、95%は狙い通りのコントロールができましたし、ストレート・シンカーの切れもとても良かったです。

とくに、左バッターに外のシンカーで空振りを取った1球は、今後に良い手ごたえを感じました。出発前に監督から言われた配球のテクニックのおかげです。

言い訳や負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、今後につながる本当に良い経験だったと思っています。

ピッチングの最中も、みんなぼくを盛り上げてくれ、とくにショートのドミニカ人が意味もなく「ありがとう、ありがとう」と連発していてとてもおもしろかったです。

そう言えば、前回のあの登板からもう2ヶ月が経っていました。正直、はるか昔のような気がして、この道のりはけっこう長かったように感じます。

これでまたひとつ山を越えましたが、どうせまたすぐに新しい山が現れるでしょう。リリーバー最後尾もまだ変わっていません。

これからも、地道にネバーギブアップでがんばって行きます。

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2007年8月11日 (土)

Reliever

11 ぼくは、アメリカに挑戦して以来、ずっとリリーフピッチャーとして仕事をしてきました。しかし、3年目の今年も、正直この仕事のノウハウをまったくつかめていません。

リリーバーというと、一般的に先発ピッチャーのあとを継いでクローザーにつなぐ中継ぎという役割で捉えられていると思いますが、その役割は多岐にわたっています。

ブルペンピッチャーは、成績や信頼度、安定性などによってセットアップ、モップアップ、クローザーにだいたい分けられます。そして、それぞれが1イニングから3イニングぐらいを投げます。

セットアップは、先発ピッチャーがリードしたまま降板したときに、依然試合を組み立ててクローザーへとつなぐ重要な役割です。必勝リレーで、最初にブルペンを出て行くのが彼らです。

次に、クローザーですが、これは良く知られているとおり、僅差でリードした9回に登場し試合を締めくくるピッチャーのことを言います。

そして、ぼくが務めるのがモップアップという仕事です。その名のとおり、モップで汚れた試合を掃除してくるという意味の敗戦処理です。

故障を抱える者や成績不振な者、首脳陣から信頼されていない者や経験不足のルーキーは、すべてこのポジションに振り分けられます。

ナイトゲームの場合、通常2:30~3:30にストレッチが始まり、その後バッティング練習をして全体練習は終わるのですが、大体試合開始までに2時間は自由時間になります。

先発ピッチャーや野手の場合、試合開始前にまた軽いウォームアップをして、試合開始と共に自分のペースで試合に入って行くことができます。

しかし、リリーバーの場合、実際に登板する時間は試合開始2時間後ぐらいの21:00~22:00ぐらいになりますので、最初のストレッチからはすでにかなりの時間が経っています。

すると、最初はずっとベンチに腰かけ試合展開を見守り、状況によって自分の出番になりそうかどうか予想を立てます。

そして、5回を過ぎたあたりから、徐々にウォームアップを始め、どんな展開になっても行けるよう準備します。しかし、ブルペンはとても狭いため、ストレッチか歩き回るぐらいしかできません。

そして、ベンチから自分を示すサインが出たらマウンドへ向かい、そうでなければウォームアップを終了しまたベンチで休みます。

もちろん、準備をしているうちに逆転したりされたりして試合展開が変われば、ピッチングをするピッチャーも次々変わっていきます。

しかし、もちろんピンチになってからピッチャーの交代を考える訳で、与えられた時間はせいぜい5分といったところです。

その中で、与えられた少ないチャンスをものにし、徐々に徐々に大事な試合で必勝リレーに使われる上位のリリーバーになって行かなければなりません。

こうなると、本当にタフな体でないとやっていけません。アメリカ人は、日本人にくらべストレッチをほとんどしないので、すぐに全力でボールを投げ始めます。

ぼくは、長く入念なストレッチがルーティーンとなっているので、この点はとても苦労します。また、準備しては休み準備しては休みのサイクルで、集中力を維持するのはなかなか大変なものです。

クローザーは、勝っている試合の9回で登板するわけですから、ぼくはリリーバーが一番大変な仕事だと身をもって感じています。

昔は、せっかくのリードをリリーバーがぶち壊すと「なにやってんだよ!」と思っていましたが、今は本当に同情してしまいます。

だって、自分で試合の流れも作れず、いつになるかもわからない出番を何時間も待ち、出て行ったらピンチの場面で、自分が出したわけでもないランナーを背負うんですから。

そこで、打たれたら、試合を台無しにしたと責められ、押さえたらヒーローになるのは先発ピッチャーか最後にセーブポイントをあげたクローザーです。

先発ではとても良いのにリリーフすると簡単に打たれるピッチャーや、逆にいつも打たれるのに先発すると見違えるようなすばらしいピッチングをするリリーバーを何人も見てきました。

メジャーリーグ中継を見ていても、悪い流れで登板したリリーフが溜まったランナーを返されるシーンを本当に良く見かけます。なぜなんでしょうか?

ブルペンにいるときは、常にその答えを見つけようといろいろ観察しているのですが、これだという答えは未だに見つかりません。この答えがわかったときには、ぼくは確実にメジャーにいます。

という具合に愚痴を聞いてもらったわけなんですが、なぜこんなことを言うかというと、今日家に帰ってからピッチングコーチのマイクに注意されたんです。

それは、今日ぼくがブルペンピッチングをしなかったからなんですが、なぜしなかったのか理由を説明してみろと言われてしまいました。

ぼくは、今週2回ブルペンピッチングをして1回遠投をしているし、昨日は休んで今日は試合で投げると思ったからと答えました。

そうしたら、休みの前には必ずブルペンで投げなさいと言われ、ぼくはルーキーピッチャーなので自分がどんな場面で登板するかよく考えなさいと言われました。

今日の試合展開は、接戦でした。そして、明日は休みです。そんな状況をぼくが把握していなかったから、マイクはぼくに注意したんです。

自分でもいろいろ考えてやっているつもりなんですが、まだまだ一人前のリリーバーには程遠いようです。

そこで、少しリリーバーについて考えてみようと思い、今日はこのテーマで書いてみることにしました。“メジャーに行くならリリーバーで”、これがこの世界で生き残るぼくの術です。

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2007年8月 9日 (木)

Welcome to Joes

9 アンダーソンに来てから11日、ようやく契約書にサインすることができました。何度も何度も書きますが、本当にこの瞬間は、野球選手として最高の幸せです。

当初は、既存のメンバーのマイナー契約というチームにとって良いかたちでのメンバー入りとなる予定でしたが、あと少しのところで契約がまとまらず、仮契約のままずるずる来てしまいました。

しかし、ここ最近のブルペンの調子が悪く、打ち込まれるピッチャーが数人出てきたため、ようやく監督とピッチングコーチが入れ替えを決意してくれました。

監督からは、リリーバーとしてブルペンを立て直すことと、フォアボールを出さないこと、この2点で仕事をしてほしいと口酸っぱく言われています。

この11日間サウスコースト・リーグのピッチャー陣を見てきて感じたことは、やはりコントロールが日本人に比べて悪いということ。

もちろん、スピードで勝負しようと思っても到底敵いません。ぼくより身長の低い選手やぼくと同じぐらいの体重の選手でも、平気で145kmのファストボールを投げてきます。

でも、そんな勢いの球でもボールでは意味がないし、ど真ん中に投げれば簡単にスタンドへ運ばれてしまいます。

ですから、やはりぼくのピッチングは、丁寧にコースをついた緩急のある球であの巨漢バッターたちと勝負しなければならないなと思っていますし、監督もそれを望んでいるんだと思います。

早速ブルペン入りした今日は、点差が大きく離れたため、ルーキーピッチャーの出番が回ってくるに違いないと思ってウォームアップを続けていたのですが、その他にも最近登板していない選手が数人いたため、デビューはまたの機会となってしまいました。

ただ、今日とても嬉しかったことは、監督をはじめチームメイトがみんなwelcomeと言って握手を求めてきてくれたことです。

この11日間、バッティング練習が終わると選手はみんなユニフォームに着替えてグラウンドへ出て行くのに、ぼくはひとり私服に着替えて観客席に向かうという日々を毎日送っていました。

だから、選手をはじめグラウンドキーパーや球団職員もみんな「いつサインするんだ?まだサインしてないのか?」と心配してくれていました。

しかし、今日はしっかりとユニフォームにドレスアップして、みんなと同じフィールドにぼくが向かうので、みんな笑顔で「ようこそアンダーソン・ジョーズへ!」と祝福してくれました。

さあ、いよいよこれからが本当の勝負。まだスタートラインに立っただけです。今年2度目のスタートラインになりますが、前回のレースとは違い、今のぼくには戸惑いはありません。

やることはただひとつ、キャッチャーミットめがけて全力でボールを投げること。これができれば、きっと良い結果が出るだろうし、みんなを喜ばせることができるはずです。

最近ふと思ったのですが、こんなにシンプルで、こんなに難しいスポーツって他にありますかね?

これができないから、みんな苦労して試行錯誤して、長いオフシーズンに体を鍛えて、少しでも多く少しでも早く自分の投げた球がキャッチャーミットに届くようにがんばっているんですもんね。

それでも簡単にそれができるのは、メジャーにはい上がった精鋭だけになるんですから、野球って本当に難しいスポーツだと思います。

でも、だからこそ、それができたときの喜び、バットにボールが当たったときの興奮が忘れられなくて、みんなずっと野球が好きでいるんでしょうね。

ふとそんなことをこの前考えて、また野球が好きになってしまいました。野球の魅力って以外にたくさんありますね。

残りのシーズンは、あとわずか3週間。悔いが残らぬよう一生懸命がんばります。

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2007年8月 7日 (火)

Community Life

Dscn1719 今日は、遠征でジョージア州アルバニーにやってきました。5時間半のバス移動でしたが、グレイハウンド経験者のぼくにとってはあっという間の到着となりました。

アンダーソンでは、アパートに住んでいるものの、電話やインターネットなどの通信環境がそろっていないため、ブログやメールは遠征おきの更新になることをご了承ください。

ただ、そんなアパート暮らしも最高の環境ではあるんです。監督のキャッシュは、3Aでプレーした野手で、ピッチングコーチのマイクはドジャースや千葉ロッテでプレーした投手です。

だから、いつも一緒にメジャーリーグ中継を見ながらピッチングの攻め方を教えてくれるし、いつでも質問できる環境にあるんです。

キャッシュは、とにかく陽気で常にしゃべっているタイプの人間で、マイクはクールでいつもリラックスしているタイプ、そしてぼくは日本人。

まったくの違ったタイプの3人で過ごす共同生活は、なんとも言えない不思議な感覚です。今日なんて、元メジャーリーガーにパンケーキを作ってもらっちゃいました!

これって実は贅沢だよなぁ~と思いながら、でも時間がなかったので急いで完食しました。

しかし、試合ではまだユニフォームを着れていません。先日、紹介したドミニカ人はビザなしでマイナーと契約できませんでしたが、もうひとり候補のピッチャーがいるんです。

でも、今日聞いたところでは、そいつもどうやら難しいとのこと。この前、スカウトの前であまり良くなかったのが原因だそうです。

この先どうなるのかまったく検討が立たなくなってきました。今日も、まだ仮契約選手としての遠征のため、ベッドはありません。

もう、ソファーや床で寝るのもすっかり慣れてしまいました。けっこう、楽しめてます。みなさんは、いかがお過ごしですか?

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2007年8月 4日 (土)

In Memory of Joe

Dscn1738 サウスキャロライナ州アンダーソンは、とても歴史の古い町で、建物や家など歴史を感じる雰囲気が町中に広がっています。

一方、ここに来る前に生活していたフローレンスは、新興住宅地が広がり、大型ショッピングセンターが立ち並び、緑に囲まれたとてもきれいな町です。

3年目を迎えたアメリカ野球生活で、ぼくもいろいろな町を旅しました。一言にアメリカと言っても、その土地柄や国民性によってさまざまな特徴がその町に溢れています。

そんな長い歴史の中で、99年前の今日、ひとりの偉大なメジャーリーガーがここアンダーソンでデビューしました。彼の名前は、“シューレス”ジョー・ジャクソン。

日本ではあまり馴染みのないこの名前も、大リーグ歴代3位の通算打率.356を記録した歴史的ヒーローであり、アメリカ人なら誰でも知っている偉大なスーパースターのひとりです。

しかし、この打率にして一度も首位打者を取ったことがないのも有名で、同時期にタイ・カッブという首位打者12回のスーパースターがいたからだと言われています。

そして、チームメイトのタイラーが、タイ・カッブの親戚にあたると聞いてびっくり。このチームにいると時代がさかのぼった気がします。

もしかしたら、みなさんの中にも“フィールドオブドリームス”という映画を見たことがあるかもしれません。

野球映画の代表作に数えられるとても有名な映画で、“ザ・エージェント”、“ザ・ハリケーン”と共に、ぼくのお気に入り映画のひとつでもあります。

「それを作れば彼はやってくる。」この言葉に引かれてやってきたひとりの野球選手。それが、“シューレス”ジョー・ジャクソンです。

マイナー時代、スパイクが足に合わなかったため、試合途中から靴を脱いだのが“sholess”というニックネームの始まりだと言われています。

今日、そのデビューを記念して試合前にセレモニーが行われ、“シューレス”ジョー・ジャクソン賞の表彰式が行われました。

受賞したのは、ヒース・キール。今シーズンの活躍と日ごろの野球への態度を評価され、チームメイトの推薦で選出されました。

みなさんも、一度この映画を見てはいかがでしょうか?アメリカであれ日本であれ、野球は父とのキャッチボールから始まる。

そして、時代の変化が著しいアメリカにおいて、決して変わることなく生き続けた野球。そんな一面を感じさせてくれる、とても感動的な映画です。

その他にも、大リーグが始まった当時のチームジャージを着て試合をするクーパーズタウンデイも今週同時に行われました。

古い球場で昔のユニフォームを着て、昔ながらのスタイルで行われる試合は、本当に時代がさかのぼったかのような感覚を与えてくれました。

そういえば、ぼくが所属するこの“ジョーズ”も、ジョー・ジャクソンの名前から由来したもので、チームのロゴにはジャクソンと靴が描かれています。

また、チームのユニフォームも袖が七分になっている今ではほとんど見かけないデザインで、パンツを膝まであげるクラシックスタイルをチーム全体で採用しています。

カラフルに彩られた球場とメッシュ地のユニフォームを着て行われるフローレンスの試合とは、まったくの正反対なスタイルですが、これもまた選手として違った楽しみでもあります。

町の特徴が違えば野球の特徴も違う。いろいろな町を旅することも、いろいろなチームを渡り歩くことも、それぞれいろいろな発見があり、誰もが味わえない貴重な経験になります。

先日、バックドロップさんがコメントしていたように、さまざまな場所で野球を見て、その雰囲気や特徴の違いに気づくのも、また違った野球の楽しみになるのではないでしょうか。

今日は、そんな思いを感じさせてくれた一日になりました。野球というスポーツは、わたしたちにたくさんの経験や発見をさせてくれるすばらしいスポーツです。

みなさんも、野球をさまざまな角度から楽しむことで、より一層野球が好きになるのではないでしょうか。これからも、Enjoy Baseballで行きましょう!

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2007年8月 2日 (木)

Extend the Sign

Dscn1749_2 今日は、正式に契約を交わしベンチ入りする日でしたが、延期となってしまいました。

現在のチームは、25人の選手枠をすべて登録しているわけですが、ぼくが入るためには誰かが外れなければならないのは言うまでもありません。

ぼくのトライアウトと時を同じくして、家のドミニカ出身の左ピッチャーがブルワーズのマイナーチームにスカウトされました。

そこで、ちょうど今日その入れ替えが行われるはずだったのですが、なんと彼は就労ビザを持っていない不法就労選手だったんです。

そのため、ブルワーズとの契約ができなくなってしまったというわけです。監督やチームメイトは、心配なさそうだと言っていたのですが、本人いわく、やはり契約は難しいらしいです。

そこで、もう少しは練習生として辛抱しなければならないことになりました。まあ、この身分は慣れたものですから、練習生としてしかできなことを精一杯やって行きたいと思います。

それから、今日は日本人の団体がジョーズを応援しに球場まで遊びに来てくれました。アンダーソンは人口3万5千人の本当に小さな町なので、まさか日本人はいないだろうと思っていたのですが、どうやら高校生の短期留学らしいです。

アメリカ人は日本人女性がとても好きなので、選手達もすごく興奮して、通訳しろとか紹介しろとかずっと言っていました。でも、女の子ばかりだったので、楽しめたかどうかぼくは心配でした。

日本では、野球はまだまだ男の楽しみの方が強いですが、こちらでは女の子も本当に野球が大好きです。

女の子同士で誘い合って、遊びの場として野球場に足を運んでくれます。これは、選手にとっても嬉しいことで、いつもベンチからタイプの女性を探しているんですよ。

という具合に、今日もいろいろありましたが、契約が延びてしまったのは少し残念です。しかし、焦らずゆっくり、今いる状況でベストを尽くす。引き続き、Keep Goingで行きたいと思います。

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2007年8月 1日 (水)

Sign with Joes

Dscn1729 今日、ライブピッチングを行い、2日間のトライアウトを無事終了しました。

今日のピッチングは、春のトライアウトキャンプから始まった今シーズンでもっとも気持ちよく、良い手ごたえを感じながら投げきることができました。

3イニング13人と対戦して、ヒットを打たれたのは1本だけ。まっすぐはまったく芯で捕らえられることなく、変化球を交えながら内野ゴロの山を築きました。

ただ、その1本のヒットは、左打者に対して2ストライクと追い込んでからインサイドのスライダーを右足に投げたものをすくわれ、ライトオーバーされたもので、マウンドを降りるとすぐに呼び出しを食らいました。

そこで、「なぜ、あそこであの球を投げたのか説明してみろ。」と言われ、「ぼくは内野ゴロが欲しいから、大きなスライダーを真横から打者に突き刺せば、バットの根元で詰まらせることができるから。」と答えました。

すると、監督とピッチングコーチに、「俺はそうは思わない。」ときっぱり否定されます。なぜなら、アメリカの左バッターは追い込まれてからのインサイドが大好きだからです。

ぼくの投げ方や球威、変化球の軌道から行って、左打者にはとにかくアウトサイドのシンカーかチェンジアップを投げろとアドバイスされました。

そして、次のイニングで早速試すと、これがおもしろいように決まる。前に打たれたバッターから三振を取り、他の左打者も当てるのがやっとといった感じでした。

このシンカーに関しては、フローレンスで少し改良したのが功を奏しました。あるとき、本屋でふと立ち読みした野球の本に、アメリカのシンカーの握りが載っていたのを参考にしたんです。

ぼくは、今まで中学校のときに野村監督に直接教えてもらった高津投手のシンカーを参考にして投げていました。しかし、ぼくの指にはいまいち合わず、投げ辛さと変化の少なさがずっと気になっていました。

しかし、今回の握りは、おそらく気流の関係なんでしょうが、縦にすごく良く落ちる、監督いわくスクリューシンカーという表現の軌道になるんです。

だから、横に変化しがちなときは右打者のデッドボールを警戒して控えていた場面でも、思い切って膝元に投げることができるようになったんです。

これが、今日はとても有効で、今後のベストピッチのひとつになることは間違いありません。

また、メンタルゲームに関しても、勉強したとおり実行することができました。緊張のコントロールや自信のこもった投球、そして自分との対話。

なんでも気さくに話せる友達がいないこちらでは、渡米してからずっと心の中で自分と対話してきました。しかし、心の中での対話では自分の行動に与える影響が弱いとあの本は教えてくれました。

それ以来、暇があれば独り言を口ずさむようになり、マウンドの上でも「低めに思いっきり投げてやれ!」とか、「次は膝元に落とせ!」と口ずさむことで集中力を維持することができるようになりました。

また、昨日のブルペンピッチングで力が入り、球が走らなかったのを反省して、今日はとにかくリラックスを心がけました。

すると、やっぱり全然スピードが違います。いつもこの力みで失敗しているので、そろそろ本気で意識しなければなりません。

そして、最後の最後、夜になってもテストは続き、家に帰って腕立て伏せのテストを課せられました。そういえば、報告遅れましたが、ぼくのルームメイトは監督とピッチングコーチなんです。

どうしても、ぼくのこの小さな体が気になるようで、30回できたら良いほうだというので、頑張って40回やりました。でも、ピッチング後の腕立て伏せは、かなり辛いです‥。

そして、本当に最後の最後、監督と面接をし、「お前は野球が好きか?」「ここでプレーしたいか?」と何度も何度も聞かれました。

だから、「あなたと同じように、ぼくは野球を愛している。ここで、ジョーズのためにプレーしたい。」と自信を持って答えました。

そうしたら、ようやく監督は、「お前をロングリリーフと右打者限定のショートリリーフで使うから準備しておきなさい。」と言ってくれました。

そして、寝る前に、「君とサインするよ!おやすみ(日本語で)」と、合格通知をくれました。この2ヵ月は無駄じゃなかったなと、本当にほっとしています。

この2~3日、新しい生活とトライアウトでかなりハードな毎日を過ごしていましたし、まだベッドルームももらえていないので、精神的にも肉体的にもけっこう疲れました。

明日から、また精一杯全力で、キャッチャーミットめがけてボールを投げ込んで行きたいと思います。みなさんも、暑い夏に負けず、たっぷり野球を楽しみましょう!

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