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2007年10月23日 (火)

地元のために

Dscn8702 今日は、今年5月に1度取材していただいた「タウンニュース紙」の取材を受けてきました。

地元海老名への恩返しをサポートしてくれるタウンニュース紙への掲載はぼくの誇りであり、快く話を聞いてくださる担当記者の“佐藤さん”にはいつも感謝しています。

やはり、ぼくを育ててくれた町、野球を始めるきっかけをくれた町には特別な思い入れがありますし、ぼくのしている活動や経験から得た宝物をまずは海老名に還元したいと常に思っています。

前回の掲載でぼくの活動を知り、球場や職場、知人を通じて多くの方々から激励の言葉をいただきました。そして、多くのパワーと勇気をみなさんからもらいました。

それは、言うまでもなくシーズン中の、そして今後の挑戦のモチベーションとなり支えとなりました。

今回の記事を読んで、「こんな普通の人でもアメリカでやっていけるんだなぁ」とか「自分にも何かできるかもしれない」とか「自分も何かやってみよう」と思っていただければ嬉しく思います。

ぼくは、これからも“ピッチング”という表現方法を使って、応援してくださるみなさんへ希望の光を届けて行きます。

どうかこれからもよろしくお願いします。まだ確定ではありませんが、今週末の新聞に掲載される予定です。

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2007年10月16日 (火)

Believe in Yourself

29 最近、とても嬉しいことがありました。先日、ある少年野球チームへ行ったところ、ひとりの選手がぼくのいるマウンドへやってきてこう言いました。

「どうしても投げたかったから、監督に投げさせてくださいって言ってきた!そしたら、監督も“ハイッ”て返事してくれたよ」と。

そして、その子は笑顔でマウンドに上がり、ピッチングを楽しんでいました。正直、ぼくはびっくりして自分の目を疑いました。

なぜなら、その子は、入団当初ぼくといっしょにキャッチボールをすることさえ嫌がり、いつも外野の片隅に座って守りにつくことも声を出すことも恥ずかしがっていたような子なんです。

それが、いつのまにか監督に志願してマウンドに上がり、次々とストライクを入れ年上のバッターを抑えていったんです。

しかも、三振が取れなかったからって悔しがるぐらいのレベルまで意識が上がっていました。そんなことって本当にあるのかな?と子供のパワーに圧倒されました。

ぼくは、なぜピッチャーをやりたくなったのかその子に聞いてみたところ、その子は「年上の兄弟がマウンドで楽しそうに投げているのを見て、自分も投げたくなった。」と答えました。

ぼくがいない何ヶ月かのあいだに、何がその子をそうさせたのか自分なりに考えてみました。もちろん、いろいろな原因はあると思いますが、やはり最大の理由は“自信”がついたことではないでしょうか。

最近、自分の周りでも、ぼくの自信過剰っぷりを煙たがる人間がいます。ぼくは、何か目標を達成しようとする者には、過剰なぐらいの自信がないと困難に立ち向かうことはできないと考えています。

もちろん、日本には昔から、他人の前では控えめにつつましい態度で振舞うことが美徳とする考え方があり、そう思われるのも仕方がないことだと理解しています。

ただ、自信過剰と言っても、それは高飛車になったり人を見下したりしているわけではなく、ただ単に「自分を信じている」だけなんです。

その自信がどこから来るかなんてどうでもいいことだし、きっと自分を信じるその純粋な気持ちが体中に勇気を与えてくれるんだと思っています。

ぼくは、アマチュア時代、大した成績もなく4年間野球からはなれて一切マウンドに上がりませんでした。それでも、復帰2年でアメリカのマイナーリーグと契約しプロのマウンドに上がりました。

それには、ぼくに関わる多くの人のヘルプとサポートがあったからに他なりませんが、強いて自分を褒めるとすれば、ぼくには他の人には到底理解できないほどの自信、言い換えれば無謀とも言えるほどの自信があったからなんです。

そもそも、4年間野球をやっていなかった自分が、たった2週間の準備でプロのトライアウトに合格するなんて常識のある人は考えるでしょうか?

今でこそ順調なトレーニングを積み、夢に向かって少しずつ前進することができていますが、それでも今シーズンは結果が残せませんでした。

それを考えれば、2005年の時点で夢に手が届くと本気で考えていた自分は、正直バカとしか言いようがありません。

でも、逆に考えれば、自信は才能や体格、豊富な経験や実績のない人間にも新たな一歩を踏み出す勇気、困難に立ち向かう力を与えてくれるとも言えるんです。

この3年間で、あのときの無謀とも言える一歩を後悔したことは本当に一度もありません。もし、あのとき良識ある決断でこの挑戦をあきらめていたら、きっと今の自分の周りのものがすべて消えてしまうぐらい、あの一歩が自分を大きく変えてくれました。

ただ、自信というのは一朝一夕で身につくものではないし、常にたゆまぬ努力が必要であることを忘れてはいけません。

ぼくが、一番恐れていることは、せっかく自信を身につけた子供たちが成長とともにそれをなくして行くことです。

学校教育が悪いのか、親のしつけが悪いのか、心の発達や過剰なプレッシャーが問題なのか、小さい頃は無邪気に野球を楽しんでいた子供たちが、高学年になった途端笑顔をなくし自信なさそうにプレーしている姿を良く見かけます。

ぼくの母は良くこんなことを言います。「小さい頃は、高いところに登っただけで子供を怒る親がいたけど、私は絶対に怒らなかった。木登りすらできない子供はたくさんいるし、登れる子供は落ちたって大丈夫だ」と。

一見、無責任に思えるこんな教育方針も、ぼくに自信を築かせる大きな要因になったと思っています。やる前からやらせないのと、たとえリスクがあってもやらせてみる。得るものが大きいのはどちらかすぐにわかると思います。

先日、もうひとつ嬉しいことがありました。それは、ぼくの友達が大学受験に合格したんです。

彼女も、ぼくと同じようにエリートコースを歩いてきた人間ではありません。ぼくが、渡米する前もまだまだ心が揺れ動き、確固たる自信や決意があるようには見えませんでした。

しかし、きっと彼女はこの夏に相当な努力をしたんだと思います。ぼくは20校受験してやっと3年目で合格したので、一発目の学校で合格するなんて容易ではないことは経験者としてすぐに分かります。

誰にも大学受験を理解されず悔し涙を流していた時期のことを考えると、彼女からはいろんな意味で勇気付けられました。

ただ、そんな彼女も今まではまったく自信が持てず、家族や友達には合格発表を1週間遅らせて報告していたらしいんです。

自信がなかったから、不合格でも1週間そのショックを自分で整理してから報告できるようにしたんでしょう。

ぼくもその気持ちはすごく良く分かりますが、「成功したから自信がつく」のではなく「自信があるから成功する」んです。

一度成功したからといってビギナーズラックのようなことが起きれば、決して自信が付くとは言えません。でも、自信があれば絶対に恐怖心は消せます。恐怖心を挑戦心に変える。これができるのは、自分の力を信じる心だけです。

今回の渡米で、自信の大切さは痛いほど思い知らされましたが、帰国後も周りのみんなの活躍で自信の大切さを再認識しました。

“自信”それは勝利の女神をほほ笑ませる唯一の手段。そして、自分を信じられなければ他人を信じることはできない。

これからも、無謀な自信とともに新たな一歩を踏み出して行きたいと思います。それにしても、あの2005年の自信はミラクルに近かったです。お恥ずかしい限りで‥。

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2007年10月12日 (金)

Angels flew down

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“天使”という言葉を辞書で調べると、そこにはこう書いてある。「天の使いとして人間界に使わされ、神の心を人間に、人間の願いを神に伝えるもの。」

そして、その下には、「A person who is very good and kind」という言葉が付け加えられている。ぼくにとっては、まさに天使のような存在だった。

彼らがいなかったら、ぼくの今シーズンはとっくに終わっていた。そのぐらいぼくを愛してくれ、助けてくれたひと。それが、EddieShirley、そしてその家族だった。

エディーとシャーリーはともに72歳と高齢ながら、いまだに共働きで忙しい毎日を送っている。

エディーの職業は弁護士と農場主。平日は弁護士活動をし、週末は家畜の飼育と販売を行い、一週間休みなく働いている。体はそんなに大きくないが、大型トラックを運転し広大な牧場を走りまわっている。

シャーリーの職業は小学校の教師。30年以上務めた学校を一度は退職したものの、今は非常勤講師として毎日いろいろな地域の学校へ出向いている。家でじっとしているより働いている方が好きと言い、週末もぼくと孫の面倒を見て毎日忙しくしている。

シャーリーは、ぼくが初めて彼らの家を訪れたときから、いつもぼくにこう言ってくれた。「ここはあなたの家、そしてあなたは私たちの家族よ。だから、なんでも相談してちょうだい。」

エディーは、耳が悪いにも関わらず一生懸命ぼくのつたない英語を聞き取ろうとしてくれた。自分の言いたいことを上手く伝えられないこともあったけど、それだけでとても嬉しかった。

ぼくが初めて彼らに挨拶をしたとき、彼らは少し緊張しているように見えた。彼らは、毎年何人もの野球選手を受け入れているが、もちろん日本人が来たのは初めてである。

きっと、想像以上に彼らはぼくにたくさんの気を使ってくれたはずだ。ぼくが、日本で見知らぬ外国人に同じことをしてあげられるかと問われれば、その答えはノーだろう。

ぼくが、フローレンスを解雇されたとき、本来であれば部屋を明け渡さなければならないのに、彼らは好きなだけここにいなさいと言ってくれた。

練習生となり、誰よりも早く球場へ行き、チームが遠征のときもぼくは球場へ行きたいんだとわがままを言っても、彼らは文句ひとつ言わず毎日送り迎えをしてくれた。

シャーリーは、どんな用事があろうと1時ぴったりに家へ戻ってきてくれたし、エディーは弁護士としての仕事が山ほどあるのに、それを早く切り上げていつも6時にぼくを迎えに来てくれた。

球場が休みで練習ができないときは、ぼくが退屈しないようにいろいろなところへ遊びに連れて行ってくれ、ぼくをいつも楽しませてくれた。

シャーリーが留守で食事を作れないときは、ぼくにいろいろなものを食べさせたいと毎日違うレストランに連れて行ってくれたし、ぼくがメニューを理解できないときは、ひとつずつ読み上げて説明してくれた。

また、彼らは日本食のことなどまったくわからないのに、お米やうどん、ラーメンなどぼくの好きそうなものを選んで買ってきてくれたし、炊飯器まで用意してくれた。

そのおかげで、ぼくは挫折することもホームシックになることもなく、新たな活躍の場を求めて新天地へ向かうことができた。

そして、フローレンスをはなれる日も、もちろんバス停まで見送りに来てくれたし、ぼくが携帯電話を持っていないから、いつでも電話ができるように$10分のフォーンカードを持たせてくれた。

帰国便の都合で荷物を置いて行きたいとわがままを言っても、「いつでも戻ってきなさい。あなたの好きなようにしていいのよ。」と言ってくれた。

ぼくは、本当に彼らに感謝しているし、アンダーソンに来ても彼らを忘れることはなかったから、観客席の人ごみの中でも彼らのことはすぐにわかった。

彼らは、片道10時間の距離を、わざわざぼくを応援しにアンダーソンまで試合を見に来てくれた。涙が出そうになるぐらい嬉しかったし、その日は試合中も観客席が気になってしょうがなかった。

そして、「あなたのベッドルームはそのまま残っているから、いつでも安心して戻ってきなさい。」と言ってくれた。

チームメイトも、「お前は本当に愛されてるな。わざわざこの距離をお前のために来てくれるなんて、俺はまったく信じられないよ。」と言っていた。

そして、フローレンスへ戻っても、残りの夏休みを満喫して帰って欲しいといろいろなところへ遊びに連れて行ってくれた。

メジャーリーグ観戦やオーケストラコンサート、動物園やフリーマーケットなど、自分たちは不慣れでも若者の好む場所をリストアップしてぼくに選ばせてくれた。

あまりの愛情に、時々なぜこんなにやさしくしてくれるんだろうと思うことがある。もしかしたら、彼らはぼくのことを誰かと勘違いしているんじゃないかと不安になることさえあった。

でも、きっと野球の神様は、ぼくにたくさんの試練を与える代わりに、ぼくがひとりぼっちで潰れないよう日本の家族と同じぐらいぼくを愛してくれるホストファミリーを用意してくれたんだろう。

これもきっと、野球がくれた最高の出会いなんだ。もし、ぼくがお金を払って普通に留学したとしても、転勤で海外赴任を命じられたとしても、こんなにすばらしい出会いはなかったと思う。

これまでの人生で、ぼくは多くの人と出会ってきたが、野球を通じて出会った人は特別な人たちばかりだ。野球を愛するという共通の気持ちが、ぼくたちの心を強く結びつけてくれる。

ぼくは、いつも新しく出会う仲間にDo you like baseball?と聞くようにしている。すると、彼らは、いつもI baseballと答える。「Likeじゃ物足りないよ!」と言わんばかりの笑顔で答えてくれる。

ぼくには生まれつきの才能も恵まれた体格もないし、豊富な経験も実績もない。それでも、ぼくはプロ野球選手としてマウンドに立ち、夢を追いかけることができる。

今回の経験で学んだことは数えきれないほどたくさんあったが、その中でもっとも強く感じたことは、夢を追いかけること、そしてアメリカで野球をやることは絶対にひとりではできないということだ。

それは、日本から、そしてアメリカから応援してくれるみなさんのヘルプとサポート、そしてたくさんの愛情があるからです。

ぼくは、野球を選んで本当に良かったと思っています。そして、彼らのことは一生忘れません。

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2007年10月 9日 (火)

To the next challenge

Dscn2201 3年間に渡ってぼくの代理人を努め、現在もトレーニングパートナーから家族のケアまで幅広くアメリカへの挑戦をサポートしてくれている「三好貴士」より、このブログを見て応援してくださるみなさんへ感謝のメッセージが届きました。

アメリカ野球に一足早く挑戦した先輩としての評価や、ひとりの人間として築き上げた彼の信念を込めた子供たちへのメッセージを今日は紹介したいと思います。

*今年YOHの挑戦を応援してくれた全ての人にまずは大きな感謝をしたいと思います。今シーズンは彼の事実上プロ初シーズンでした。フローレンス・フリーダムの最初の登板に結果的にうまくパフォーマンスを出すことができず、いきなり解雇という厳しい現実を突きつけられ、本人もひどく落ち込み、数々の苦しみを味わったことだと思います。

しかしながら、それはアメリカのマイナーリーグの厳しさを身をもって体感することができる貴重な貴重な経験になりました。ブログを見ている皆さんからの太陽の日差しのように暖かいコメント、それから大きな期待と‘‘愛‘‘があったおかげで彼はこの困難も見事に乗り越え、アンダーソン・ジョーズという新たな活躍の場を見つけることができました。人との出会い、試練に耐える忍耐力、本当にたくさんのことが彼をプレーヤーとして育ててくれたシーズンでした。

またそれ以上に一人の男として、人間として一回りも二回りも大きくなって帰国してくれたことが、彼の代理人を務めさせてもらった僕には誇りであり喜びでした。今年の挑戦は最高の‘‘結果‘‘を残すことはできませんでしたが、それは未来につながる大きな大きな一歩になったことに間違いありません。

彼は無事日本に帰国しましたが、もう来季に向けて戦いを始めています。新たな自分の可能性に出会うために今も走り続けています。僕自身も今年は大変色んな面で勉強をさせてもらいました。そして必ず来年も、今年よりもさらに‘‘大きな決意‘‘を持って彼の挑戦をサポートする次第です。可能性という扉を僕の持つ全ての経験とパワーを使って開け続けます。

人生において不可能はない。これが僕の持論です。何かを思えば、何かを考えれば1%は可能性がそこにある。だから100%不可能はあり得ない。できる、できないじゃなくて、“やるか、やらないか”なんだと思います。僕の尊敬してやまない黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンはこう言う言葉を僕たちに残してくれました‘‘A life is not important except in the impact it has on other lives`` ‘‘他人の人生に影響を与えられない人生には意味などない‘‘。

このブログを立ち上げたのは、次世代を支える子供たちに、彼の行き方から、また大きな挑戦心から何かを感じてもらいたいからです。子供が持つ可能性は世界の財産です。それはどんなものにも変えることができない尊いものです。ですから今後も色々な活動をしていくのでご期待下さい。

また皆さんからYOHに‘‘大きな愛情‘‘と応援のほどよろしくお願いします!!来年は必ず今よりもゴールに近づけるようにYOH共々頑張って行きたいと思います。それではまた!!

Big Hug & a lot of love to the world!!

Respectfully

Yoshi

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2007年10月 6日 (土)

BCリーグ

Dscn2212 今日は、日本の独立リーグの現状を知り今後の活動の参考にするため、長野県松本市にある松本市野球場へ「北信越BCリーグ」を見に行きました。

また、2005年の侍ベアーズ選手兼任コーチであり、今年は新潟アルビレックス・ベースボールクラブの選手兼任コーチでもある“根鈴さん”に挨拶をするためでもありました。

到着早々、球場から太鼓やメガホンの音が鳴り響き、楽器を使った日本独自の応援スタイルに少々驚かされ、日本野球から離れた7年の歳月を身にしみて感じました。

試合は、応援していた新潟が14-8という大差で圧勝しとても楽しませてもらいましたが、技術的な面ではのんびりしてもいられないなという危機感を感じました。

ただ、これは選手個々のレベルが非常に高く自分自身の技術に不安を感じたという類のものではなく、アメリカで成功するために日本人の体格やプレースタイルがあまりにも未熟であることを痛感させられたからです。

ここ何年かは、日本人選手のメジャーリーグにおける活躍のおかげで、世界的にも日本野球は高く評価されています。

しかし、これは日本球界で華々しい成績を残したスーパースターたちが成し遂げたもので、全体的なレベル、特にマイナーのレベルで言えばその差は歴然としています。

球のスピードやキレ、バッターのパワーやスイングスピード、マウンドの高さや芝の長さなど、北米の野球とはまったく違ったスタイルをしていました。

もちろん、日本のマイナーで活躍するためには、そのすべてを変える必要はないと思います。なぜなら、日本には日本独自のプレースタイルがあり、日本人の体格や技術にあった戦い方があるからです。

しかし、アメリカで活躍するためには、彼らと同じことをしていても通用しません。なぜなら、アメリカにはアメリカの戦い方があるからです。

例えば、日本ではスピードや柔軟性など私たちの特長とされることは当然であり、その代わり外国人ばりの体格とパワーをもった人間を高く評価します。

一方で、アメリカでは190cm100kgなんていう体格はあたり前で、その代わり彼らにはできない細かい動きやスピードが高く評価されます。

なので、今回の試合を見たことで日本人としての長所を再確認したとともに、日本で培った野球にたいする概念を180度入れ替え、アメリカ用の野球をしなければならないんだという転換点の多さに危機感を感じたんです。

なんだか上手く言葉にできませんが、3年間北米の野球に携わったことで、良くも悪くも双方の野球の違いが良く見えるようになってきてしまったということなんです。

「まだまだやることは山ほどあるなぁ‥」と、アメリカ生活の疲れを癒すせっかくの小旅行だったのに、結局は多くの課題を突きつけられたかたちになってしまいました。

そして、試合後はロッカー前で出待ちをし、根鈴さんに挨拶をしました。2005年以来2年ぶりに会いましたが、相変わらず彼のオーラはずば抜けています。

彼は、元モントリオール・エキスポズの3Aまで上がった日本人マイナーリーガーの先駆者で、イチローよりも先にメジャーリーグ初の日本人内野手かと騒がれた名選手です。

その後も、北米独立リーグやヨーロッパなどでプレーし、34歳の現在でも現役として活躍し日本球界や北信越リーグの発展に多大な貢献をしている野球選手の鏡でもあります。

そんな彼との対面にぼくはひさびさ緊張してしまい気の利いた話は何ひとつできませんでしたが、シーズンオフにぼくの球を見て欲しいとお願いしておいたので、それが実現すればまたいろいろな話を聞いてみたいと思います。

北信越BCリーグは、10月17日までレギュラーシーズンを戦うそうなので、みなさんも是非日本球界の新たな挑戦を応援してあげてください。

*写真は左から、代理人、根鈴さん、そして代理人と共にBMIを引っ張る田村さん(ブログ初登場)です。

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