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2007年11月24日 (土)

The Little Giant

Dscn8727 しっかりとした夢や目標を持ちながらそれに向かって全力で走り続ければ、そこへ向かってまっすぐな道が切り開かれて行く。

たとえ、その道を踏み外したとしても明確なゴールがしっかりと頭の中に描かれていれば、その道を軌道修正してくれる人やきっかけが必ず現れる。

それを、今日あらためて実感しました。確かに、自分が道を踏み外していたことに気づかされることはそれなりのショックを受けます。

それが、まったく意味のないことではないにせよ、現段階でのパフォーマンスが最高ではないということは、何かしら今の自分に誤りがあるということを受け入れなければならないからです。

今日のぼくのピッチングは散々なものでした。去年に引き続きウェイトトレーニングを上手く取り入れることができず肩を壊してしまいました。

そんなぼくを救ってくれたのが、今日ぼくのピッチングを見に来てくれた「三沢亮介」さんです。

彼は、今年MLBワシントン・ナショナルズで3ヶ月のインターンシップを経験し、メジャーリーグの世界に新たなコンディショニング法を紹介したマッサージセラピストです。

ぼくも最初はピンっときませんでしたが、マッサージセラピストとは鍼や灸または指などを用いて皮膚や経路に刺激を与え病気を治すドクターのことです。

スポーツ業界でよく知られるアスレティックトレーナーは、ケガの予防のためのトレーニング指導や傷害発生を抑えるテーピングやストレッチなどを補助する人たちのことを言いますので、痛みを取る専門家といったところでしょうか。

まだ、メジャーリーグでもこのようなマッサージ技術は取り入れられておらず、三沢さんも最初は選手に指一本触らせてもらえなかったそうです。

でも、彼は自分の技術に対する絶対の自信を失わず挑戦し続けました。そして、帯同した3ヶ月の最後にはメジャーリーガーから絶賛されるまでになったそうです。

ぼくは、去年からオフシーズンに入って重たいウェイトトレーニングを始めた途端、肩の調子が悪くなるという現象に悩まされています。

ぼくの未熟な知識では、この痛みはウェイトトレーニングをすることで起きる筋肉の硬直が筋肉の稼働範囲を狭め、シーズン中のように常にほぐされた筋肉のしなやかな動きができなくなることが原因だと考えていました。

だから、この筋肉のコリが取れればまた調子が良いときのように投げれるんじゃないかと自分の中で解釈し、いつもなんとなく感じる肩の中の嫌な痛みはさほど気にせず投げていました。

でも、先週オフシーズン最高の110球を投げたあとその痛みがピークに達し、今日は右腕を上にあげ帽子を触ることもできないぐらい肩の内部に痛みが出てしまいました。

そこで、三沢さんの治療を受けました。彼は、ぼくの大まかな話を聞いたあとですぐに原因が分かったらしく、肘間接の動きを見ながら患部のはりを取って行きます。

そして、数分も経たないうちに、あれだけパンパンにはっていたぼくの右腕が水風船のようにぷにゅぷにゅっとした触感に生まれ変わってしまいました。

正直びっくりして声が出ませんでしたが、あまりの痛みにこちらも声が出ませんでした。彼いわく、あのメジャーの巨人どもが涙を流すほどだと言います。本当に痛いです‥。

そして、もうひとつの原因がローテーターカフ(肩内部の小さな筋肉)を鍛えるチューブトレーニングの誤解にありました。

英語で“Rotator Cuff”と呼ばれる回旋筋腱板は、上腕頭骨を抱え込む4つの小さな筋肉の集まりです。ボールを投げても腕が飛んで行かないように肩と腕を結びつける重要な役割を担っています。

通常は、三角筋のように外から見えるものではなく、また直接触ることができるものでもないため、その重要性は忘れがちです。

しかし、前述のようにピッチング動作では腕に大きな遠心力がかかりますから、それをつなぎ止めるローテーターカフには想像以上の負担がかかるわけです。

それを知った2005年からぼくはチューブトレーニングを始めましたが、内部の小さな筋肉を鍛えるというデリケートな側面もあり、外部の筋肉を使わないよう負荷をかけすぎずに行うことを意識してトレーニングしていました。

しかし、それがあまりにも慎重すぎて負荷が足りなさすぎると指摘を受けました。実際、負荷を強くするとピッチングで出た痛みがかなり強く現れました。

3年間毎日のようにチューブトレーニングをしていたことで、まさか今頃ローテーターカフに痛みが出るわけないだろうという思い込みが今回の一番の反省点です。

だから、チューブトレーニングはもう充分だろうと思い込み、土台がしっかりと築かれる前に思い負荷をかけた筋力トレーニングを開始し、外の大きな筋肉が成長するにしたがって内部とのバランスを崩していった結果痛みが出ていたということなんです。

その後、正しいチューブトレーニングの仕方を教えてもらい、新しいストレッチと今後のアドバイスももらいしっかりと今回のミスを軌道修正するきっかけを頂きました。

ぼくが、彼に教わった中で一番心に響いたのが「フォームを変えるのは一番最後。それまでにできることは山ほどある。」という言葉です。

痛みが出たらまずはその痛みを取ってやることが先決で、痛みを抱えながら何球投げてもそれはなんの積み重ねにもならない。

ピッチングというのは、腕の角度やボールの握り方を1ミリでも変えれば今までとはまったく違う軌道でボールがミットにおさまります。

ということは、ぼくのように癖のあるボールの軌道や変則的な腕の角度がアメリカに挑戦する最大の武器であることを理解している者にとっては、痛みが出ないフォームに変えることで自分のオンリーワンを消すことは自分の存在価値を消すことでもあり、どうしても受け入れられないものでした。

したがって、フォームを変えること以外にこの痛みを取る方法がないかもしれないと心が揺れ動いていたぼくにとっては、とても力強い言葉で胸にささりました。

今日は、ぼくをいつも応援してくれる相模原市の相武台イーグルスのメンバーが校庭で自主トレをしていたので、彼らも三沢さんに興味津々で話に耳を傾けていました。

チューブトレーニングは、重いウェイトトレーニングとは違い小学生のうちから積極的に取り入れるべきもののひとつだそうです。

今日、直接指導を受けたイーグルスのアツ君とコウダイ君も楽しそうにチューブを引っ張っていたので、きっと良いきっかけになったと思います。

そして、何よりこのぼくがいっぱい勉強させてもらい、今後さらなるステップアップに大きな後押しをもらうことができたと感謝しています。

ぼくよりもはるかに小さな体ではありますが、メジャーリーガーをもうならせるあのパワーとテクニック、そしてあの目力はまさに“小さな巨人”です。

すこやか訪問医療マッサージ

院長 三沢亮介

TEL:042-718-6223

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2007年11月15日 (木)

Mr,Magnets

Dscn8723 最近、ぼくは新しい人と出会う機会がとても増えている。

しかも、その人たちは、偶然、タイムリーに、自分が持っていない能力や知識を携えて、突然ぼくの前に現れる。

傍から見ればまさかと思うような人から、大事な人を紹介されたりもする。

ぼくは、今回アメリカへ行って多くの人間や経験と出会い、野球選手として大きく成長したと思っていた。

しかし、そういう経験から得た内面的な自信が、周りからはずい分大きな体になったと見えるらしい。

本当に見えないところでぼくのエネルギーが磁場を動かし、なぜか今までぼくと無縁の人間が急接近してぴったりとくっつくような現象が起きている。

だから、常に何かを求め、常に何かを学ぶ姿勢を持ち、非常識だと思われるところにどんどん飛び込んでいく姿勢がぼくに生まれた。

そう勝手に解釈して今回向かった先は、MLBワシントン・ナショナルズヘッドストレングス&コンディショニングコーチとして活躍されている「友岡和彦」さんを囲む会です。

今シーズン終盤に痛めた肩痛の治療やオフシーズンの筋力トレーニングなど多くの課題を抱えるぼくにとって、多くのコンディショニングコーチやパーソナルトレーナーが集まる今回のイベントはまさにタイムリーな内容となりました。

到着早々、自己紹介をさせてもらいましたが、友岡さんをはじめメジャーリーグや日本球界でそうそうたるメンバーのトレーナーをされている方たちがたくさんいて少々困惑しました。

ドレスコードも知らず野球バッグ抱えて右手にはボール、ハーフパンツで乗り込んだぼくは早速場違いなところへ来てしまったなぁ‥と緊張を隠せませんでした。

でも、この会のすごかったところは、みんな経歴や肩書きに一切関係なく本当に謙虚に熱心に会話や出会いを楽しんでいたこと。

体外、こういう手の飲み会って、上司とか年長の人とかを接待して持ち上げて、酒飲んでバカ騒ぎするみたいなところがあるじゃないですか?

もちろん、酒場嫌いなぼくの偏見もありますが、昨日のようにみんな対等に意見が言えて、ぼくみたいな人間の話でも真剣に聞いてくれるような雰囲気はとても刺激的でした。

なので、できるだけ多くの人に顔見せしぼくの気持ちを伝えようといろいろな席を回り、経験豊富な彼らのトークに必死に食らいついてがんばりました。

お酒も飲まず、ほとんど食事に手を付ける暇もなく高い食事代を払いましたが、今後もアドバイスを頂きたい人、一緒に協力して何かできそうな人などたくさん新たな出会いがあったので、まあ世界一高級な水道水を飲んだということにして笑顔で帰ってきました。

眠らない町“新宿”に不慣れなぼくは終電のことなどまったく知らず、帰りはすっかりご迷惑をおかけしましたが、本当に最高のイベントでした!

他にも紹介したい方が山ほどいますが、これから徐々に紹介していければと思います。ちなみに、友岡さんは写真中央の最前列です。

トレーニングコラムなども紹介されていますので、みなさんもぜひ参考にしてみてください。

DMedical.net  http://www.dmedical.net/contents/training.asp

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2007年11月11日 (日)

Let`s go Moose

08 1996年、FNS10周年記念番組として29時間30分にわたって放送された「超夢リンピック」という番組の中で、SMAPやナインティナインなど当時のいいともメンバーと野球対決をし東京ドーム初マウンドを経験してから11年、ひさびさ東京ドームを訪れました。

当時の記憶をたどってみると、その企画はいいとも終了後のトークの中で、笑っていいとものレギュラーを務めていた我らが野村沙知代オーナーが野球好きの中居くんやタモリさんに自身の所有チームとの対戦を持ちかけたことから始まりました。

番組の収録時間は平日の早朝、シーズン中の東京ドームを借りて朝7時の集合から始まりました。当時、ぼくはまだ中学2年生でその日はいつもどおり学校があり、先生から終了後すぐに学校へ戻ることを条件に参加が許されました。

当時の学校は、今ほどゆとり教育や学級崩壊が進んでおらず、授業を遅刻・早退、欠席をするときはある程度担任からの許可が必要でした。

そのため、学業より野球を優先する港東では、修学旅行や運動会、その他の学校行事で練習を欠席することは許されずいろいろ苦労しました。

大きな行事を欠席するときは何度も担任や校長先生と話し合いをし、体育やスポーツ大会でケガをすることはタブーとされていたので、慎重に種目を選んで参加したりもしました。

当時の野村婦人は、そのキャラクターで人気絶頂を迎え毎日のように取材を受け、いいともの他にもTBSの筋肉番付や各局のワイドショーで何度も特集され、その都度ぼくたちも収録や撮影に参加していました。

今だから言えますが、実は○○していたのもこの時期だったんですねぇ。全然気づきませんでした‥。いろんな意味で彼女には感謝しています。

これにはひとつミラクルな話があって、実は今ぼくの代理人を務めているヨシが渡米を決意するきっかけとなったひとりの日本人独立リーガーがいました。

その選手は、ぼくが所属していた港東の先輩で、その選手の特集がされたとき当時を知る野村婦人が球場でインタビューを受けるというシーンがありました。

ぼくの代理人は、その特集を見てこういう選手もいるんだなと刺激を受け、高校卒業と同時にアメリカへ渡ったそうです。

そして、その9年後、ぼくはアリゾナの侍・ベアーズで彼に出会い、彼の自宅を訪れました。そして、数あるDVDの山からたまたまこの特集が収められたディスクを手に取り見せてもらうことにしました。

そしたら、なんとそのインタビュー中の婦人の背後に登板中のぼくが映っていたんです!なんか見たことあるフォームだなと思って良く見たら自分でした。

いろいろテレビに映りこんだことでこんな出会いもあるんだなとびっくりしています。お互いが出会うべくして出会ったんだなという感じです。

そして、そのひとつがこの夢リンピックだったんです。当時のぼくは2年生で、3番手の控え投手をしていました。

本来であれば試合に出ることはほとんどなくベンチで芸能人の活躍を眺めていればよかったのですが、その前の週に公式戦で勝ちあがったチームはその次の週にも公式戦があり、上の2人は軟式で行うこのイベントに出場することを禁止されました。

そこで、急遽先発を任されたのが3番手のぼくだったというわけです。今でもはっきりとそのときの様子は覚えています。

試合前に佐野アナからインタビューを受け緊張したこととか、左打ちの出川さんに2安打されたこととか、ナイナイ岡村さんに球が速いと怒られたこととか‥。

そのとき感じた東京ドームの印象は、大きくて外野フェンスが高く、芝が硬くてマウンドが柔らかいといった程度のものでした。

そして、今回偶然コナミカップアジアシリーズのチケットが手に入ったので、勉強がてら中日vs台湾の試合を見に行きました。

率直な感想としては、そんなにレベルの差を感じませんでした。もちろん、この時期の選手は疲労や集中力の低下でシーズン中ほどのパフォーマンスはできないと思います。

ただ、それにしてもピッチャーの腕の振りやバッターのスイングスイングスピード、全体の守備力などはアメリカで見てきたものと比べると歴然としていたように感じます。

そもそも、これからメジャーを目指す人間がコナミカップで力の差を感じては元も子もないのですが‥。

しかし、それ以外は良いところもありました。ざっと見た感じで、子供や女性のお客さんが多かったのは嬉しかったですね。

まだまだ、野球はおやじのスポーツなのかと思っていましたが、最近では自分の周りでも野球好きな女の子がけっこういたりして、野球界全体の発展にはとても嬉しいことです。

また、イニング間でのチアダンスや音楽、カメラワークなど球場全体でも野球を盛り上げようと思考をこらしていたのは良いことだなと思いました。

あのラッパや太鼓だけは、野球を楽しんでいるのか応援を楽しんでいるのかぼくには理解できない部分もありますが、鳴り物を鳴らして応援するスタイルはアジア独特なものなので、まああれもひとつの文化として良いとは思います。

そんなこんなでひさびさの東京ドームをひとりで満喫してきましたが、学校終わりで向かいその後はバイトも控えていたため、結局1時間程度しかいることはできませんでした。

来年は、メジャーの開幕戦も日本でやるそうなので、たまには日本で野球観戦するのも悪くはないですね。

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2007年11月 2日 (金)

Metabolic Minor Leaguer

Dscn2027 アメリカから帰国して以来、すぐにフィットネスクラブに入会し順調にウェイトトレーニングを進めてきました。

しかし、昨日特殊な機械で体を測定したところ、何ともお恥ずかしい最悪の結果を出してしまいました。

アメリカで生活していた4ヶ月間、精神的に余裕がなくプロ意識にも欠けていたぼくはずっとアメリカ人と同じペースで同じ食生活をしてきました。

マイナーリーグの生活では、午後3時ぐらいから試合が終わる11時前後まで椅子に座ってゆっくりと食事をする時間はありません。

そのため、クラブハウスにはサンドウィッチとポテトチップスなどのスナックが常備されていていつでも軽食が取れるようになっています。

中には自分で食事を用意してくる選手もいますが、大半はトレーニングの合間に少しずつ軽食を取って小腹を満たしています。

ぼくはリリーバーで登板する時間は夜10時前後になるし、空腹になると人一倍体中から力が抜けてしまうタイプなので、試合前には他の選手よりも多く食事を取るようにしていました。

だから、平均すると大体1日4つのサンドウィッチと3つのスナックを食べるペースで、今考えれば毎日食パンを8枚は食べていたということになります。

その他にも、ホットドッグやハンバーガー、アイスクリームやクッキーなどカロリーが高くアメリカ人が大好きなジャンクフードを毎日のように食べていました。

その結果、昨日の測定では渡米2週間前にくらべて体重は変わらないのに、ウエストは5㌢アップ、体脂肪率は1.6㌫アップ、筋肉は2㌔ダウンで、内臓脂肪指数は10アップという驚異的な数字をはじき出してしまいました。

本当にお恥ずかしい限りで今日もこの記事を書こうかどうか悩みましたが、これから渡米するみなさんもぼくと同じ失敗を犯さないように気をつけて頂きたいと思い筆を取りました。

そこで、急遽大変お世話になっているトレーナーに食事コントロールのアドバイスをもらい、無駄な脂肪の除去とパフォーマンスの向上を目指して本気で食生活を変えていく決意を固めました。

今さらですか?って感じですけど、今まではプロテインなんていう贅沢品にはまったく手が届きませんでしたし、主婦の方ならともかく料理なんてしたことがなく未だに算数をよく理解していないぼくには、食品成分表の見方が本当に分けわからないんです‥。

食品を点数で表示してそれをグラムになおしてからたんぱく質の量を計算するといった具合で、本当に頭が混乱してしまいます。

例えば、今日の朝ごはんは、白米200gでたんぱく質13g、あじのひらきで13、8g、味噌汁1杯で3g、ワッフル1枚80gで6、4g、ヨーグルト110gで5,1gを取りました。

なので、今日は朝食で41,3gのたんぱく質を獲得したというわけです。一般的な目安は体重の2倍と言われており、ぼくは現役選手なので2,5倍を目安に1日175gのたんぱく質摂取を目指します。

でも、この計算は以外におもしろく、マイレージのように獲得ポイントを貯めながら高たんぱく質の食品を見つけると宝物を発見したような気分になり、ありがたく食事が取れるのでこれからも楽しく続けて行けそうです。

今日は、おととい注文した特大のプロテインも早速届きましたので、今後はしっかりノートをつけながらサイボーグ目指して体を鍛えて行きたいと思います。

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