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2008年12月31日 (水)

We love DAX.

Img_0222_400 今年も、大晦日の祭典、「海老名ダックスズOB会」が開催されました。

今年も、全国各地から、社会人、大学生、高校生、中学生、甲子園球児、はたまた不良、そして男の子も女の子も、現役バリバリの選手から別の道に進んだ者まで、今日のために集結してくれました。

毎年、招待状も、事前の告知も何もないのに、みんな当然のように快く集まってくれ、そして毎日毎日死ぬほど練習しているのにこんな日まで夢中で試合にあけくれる彼らは、間違いなく日本で一番野球が好きな連中です。

その中でも、とくに夢中で試合を行っているのが、毎年最年長参加者記録を更新しているぼく。

今日も、ファールで粘る中学生相手に本気でむきになってしまい、本気のストレート勝負で挑んだあげく、最後は歩かせてしまいました。

本当に、大人気ない。

でも、いつまでも彼らと戦えるフィジカル、そしてメンタルを持ち続けて行きたいなと改めて思いました。

今年も、一年、暖かいご支援誠にありがとうございました。

ぼくのキャリアの中で、間違いなくどん底と言える状況において、いつもそばで支えてくれたみなさまには大変感謝しております。

来年は、絶対、結果を残して帰ってきますので、どうぞ、来年もよろしくお願い致します。

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2008年12月27日 (土)

Believing is just the beginning...

Dscn1451_400 最近、このブログに対するさまざまな意見をいただく中で、もう一度このブログを立ち上げた“意味”について考えてみた。

このブログを最初に書いたのは、2006年の4月28日。カナダへ渡る1ヶ月半前のことだった。

それまで、いい加減な学生生活を送っていた自分が突然渡米をした2005年の経験を、大学やバイトの仲間たちが誰一人信じてくれなかったから、次のチャンスこそと視覚的に証明するものが欲しかった。

ただそれだけの理由でこのブログを立ち上げた。今考えても、本当にくだらない動機だった。

それが、一つ二つと記事を増やして行くうちに、「この間の記事見たよ!」「次の記事はいつ?」と声を掛けてもらえるようになり、その何気ない一言がぼくにとっては最高に嬉しい褒め言葉であり、同時に緊張感をもらった。

メジャーリーグの球団と契約したわけでもない、大したメッセージを送れているわけでもないのに、ぼくの記事を見てくれる人がいる、楽しみにしてくれる人がいると思うと、それだけでこのブログを続ける勇気が湧いた。

そうやって、2年半続けてこれた。

しかし、この民主主義の世の中で、誰もがこのブログに賛同してくれるわけではない。

記事の内容に苦痛を感じる者、写真や色使いといったデザインに不快感を感じる者など、賛否両論あることももちろん理解している。

どちらの意見に耳を傾けるべきか?当然、両方の意見に耳を傾けるべきである。

しかし、今のぼくにはできない。

ブログというのは、ホームページを作成するためのHTMLという複雑な知識を必要とせず、管理者からソフトウェアを入手すれば、誰でも簡単に立ち上げることができる。

しかし、逆に言えば、その決められたフォーマットの中でしか表現することができない。

本来であれば、誰もが見やすいデザインや字体、色をアレンジし、さらには動画や写真をたくさんアップして大人も子どももみんなが楽しめるサイトにするべきだろう。

また、記事に関しても、大げさな情報や不確定な報告は避け、当たり障りのない意見を述べれば、恐らく今程の非難は浴びないだろう。

しかし、それには多くの時間とお金がかかり、専門的な知識と経験が求められる。

そして、そもそもぼくは、それを望んでいない。

だったらどうするべきか?自分の信念を信じてやるしかない。

当初の動機とは変わって、今は、野球に限らず、誰かの、何かのきっかけにこのブログがなればという願いを込めて、毎回記事を書いている。

だから、ぼくの考えに賛同できない人がいるのはしょうがない。

でも、もしひとりでもぼくの考えに賛同してくれる人がいれば、ぼくは、その人のためにブログを書き続けようと思っている。

もちろん、デザインに関しても同じだ。

ぼくは、このブログを立ち上げるときに、BASEBALLを象徴する青い空、緑の芝、そして白球の白を必ず入れたいと考えた。

だから、今まで何度か背景の写真を変更したが、この色だけは絶対に残している。

また、白の文章に背番号[42]を重ねるのも、見にくいとはわかっていても譲れない信念がある。

去年、チームを解雇されてから一番苦しかった2ヶ月の練習生で、何度も弱音を吐きそうになったとき、ぼくの背中を押してくれたのがあの背番号[42]だった。

誰もが無謀だと思えるAndersonへの移籍も、背番号[42]が後押ししてくれた。

だから、ぼくはチームが遠征中の誰もいないグラウンドでも、ひとりドレスアップして必ずユニフォームを着込んだ。

それが、ぼくの持てる唯一の“自信”だったからだ。

あの番号は、BASEBALLの世界でもっとも偉大な番号だ。

黒人初の大リーガー、延いては、私たちカラード(有色人種)が大リーグを目指す権利を与えてくれた偉大な人物が背負った番号。

BASEBALLを愛する者に、“ジャッキー・ロビンソン”を知らぬ者はいない。

ブログを書くというのは、とても勇気がいる。いつ、だれが、どこで見ているかわからない。

だから、決していつもパーフェクトではないぼくの文章に自信を与えてもらうために、必ず背番号[42]を通したいという自分勝手な意図がある。

そして、また、その誇り高き番号をみなさんの一番目の入るところに置きたいという意図もあり、読みづらいデザインになってしまった。

でも、これがぼくの歴史だ。

調子が良いときも悪いときも、正しい考えのときも間違った考えのときも、ずっとこのブログとともに歩んできた。そして、たくさんの出会いもくれた。

ぼくの第二の野球人生のすべてが、このブログには詰まっている。

もちろん、せっかくのブログなんだから、多くの人に見てもらえるよう人気のプロバイダに登録して、格好いい写真を貼り付けて、アクセス数を競い合うのも確かに必要である。

だけど、ぼくはその歴史を簡単に乗り換えることはできない。ある日、突然、お気に入りにしていたブログが閉鎖されているなんて、あんな寂しいことはない。

このブログをずっと見守ってくれた人を何よりも大切にしたいから、ぼくはこのブログを続けて行くし、このブログでよりよいものを作り上げれるよう努力したいと思う。

いつも、このブログに対し、意見を述べてくれる方々には本当に感謝している。

また、いろいろな面で不快感を持ちながら、尚目を通してくださる方々にも本当に感謝している。

本当の意味でみなさんを満足させられるようこれからも努力して行きますので、今後ともこのブログをよろしくお願いいたします。

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2008年12月23日 (火)

E・A・G・L・E・S, Eagles!

Img_0202_512 今日は、三好さんが主催する野球教室を手伝いに、相模原市の「相武台イーグルス」にお邪魔してきました。

いつも思うことだが、彼らの長い長い野球人生の中で、原点と言えるこの時期に自分が指導者として携われることを本当に光栄に思う。

また、ひとつのチームを作り上げている監督さんやコーチのみなさん、お父さんやお母さんの尽力に敬意を表したい。

ぼくも、これまでにいろいろなチームを見させてもらったが、技術、体力、雰囲気、どれを取ってもふたつと同じチームはなく、たくさんの個性に溢れていて本当に楽しい。

良いことも、悪いことも、それはそれでひとつのチームカラーとして、試合を勝ち抜くための大きな武器となるから、今後のイーグルスにも大いに期待したい。

今日も、みんな一生懸命ボールを追いかけ、バットを振り、グラウンドを走り回り、日ごろの練習の成果を存分に発揮してくれた。

だから、ぼくも一生懸命野球を教え、言葉や気持ちを伝えようといつも心がけている。

子どもたちは、本当に敏感で、繊細な心を持っているから、ぼくらがだらけたり、気のない言葉をかければ、子どもたちはすぐにサインを送ってくる。

今日も、その点で、ぼくにはたくさんの反省点があった。

まずは、準備を怠ったこと。これは、絶対にやってはいけないことだった。

事前にチームの状況、グラウンドの状態、ピッチャーの人数や監督さんの意向、こういったものをすべて把握した上でメニューを考えるべきだった。

なぜなら、ぼくは、まだプロの指導者ではなく現役の選手であり、それらを臨機応変にその場で組み立てる程の知識や経験といった引き出しがないからだ。

だから、今日は、いつになく子どもたちを夢中に、集中させることができなかった。

それから、デモンストレーションができなかったこと。

自分には、まだ言葉という手段だけで人を説得、納得させる力がないから、行動で示すしかない。

いつも、子どもたちを教える上では、先頭に立って見本を見せ、気持ちを込めた球を見せつけることで忠誠心や説得力、向上心を植えつけてから言葉を発する。

肩痛のリハビリ中でそれができなかったから、今日は、後輩のサポート役にまわることしかできなかった。

やはり、子どもたちへの野球教室と言えども、自分自身がマウンドに上がるのと同じぐらい、準備をし、体を作り、体調を整え、気持ちを入れなければならないと改めて思った。

とはいえ、今日できることはすべてやりました。決して、手を抜いたわけでも、心を抜いたわけでもありません。

イーグルスなら、きっと、またぼくが顔を出したときには、すばらしいプレーと笑顔を見せてくれるんじゃないかと期待しています。

最後の最後、充実感溢れた最高の瞬間を残すための恒例の記念撮影は、いつもより少し笑顔が少ないように感じますが、まあそういうときもあるさ。

また、声をかけていただければ、いつでも喜んで行かせて頂きますので、またの機会を楽しみにしながら、どちらが先に夢を叶えるか、みんなで競争しよう!!

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2008年12月21日 (日)

Power to them

Img_0192_320 今週は、“Y`sアカデミー”期待の中3コンビを連れて、“三好アカデミー”塾長のバッティング練習に参加してきました。

三好アカデミーと言えば、4年のブランクを抱えたぼくをわずか2年でアメリカ独立リーグのマウンドに立たせた一流の野球学校です。

ここで2年間みっちり鍛えられたおかげで、ぼくは、心・技・体ともに大きく成長しました。

どうしようもない人生を送っていたぼくが、今こうやって次の世代の若者に“野球”を語れるようになったのも、まぎれもなく塾長のおかげです。

三好アカデミーは、エリートコースを外れたアベレージ以下の選手を、日本やアメリカ、オーストラリアのリーグへ毎年のように送り込む、いわば再生工場的アカデミーです。

まだ、彼らを教えるようになってから2週間足らずで、技術的にはひよこ同然ですが、彼らのやる気と向上心ならきっと気持ちが届くだろうと思い、このタイミングで体験入学となりました。

最初は、あのギャング顔負けの風貌に恐る恐るの彼らでしたが、塾長の熱のこもった指導と力強いスイングを見て、すぐに虜となっていました。

帰りの車の中でも、フォームチェックのために撮ったビデオを繰り返し見て反省会をし、大満足の様子でした。

しかし、これで終わらないのが子どもたちのSOUL POWER!その後、公園で鬼ごっこをしたいということになり、ぼくがずっと鬼でなんと1時間逃げ回っていました‥。

ぼくから言わせれば、れっきとした走りこみだと思うのですが、彼らいわく練習での走りこみと遊びは別腹だそうです。

そして、今日も朝から集合し、昨日の疲れはどこ吹く風で志願の特打ち。強風に向かって200球のロングトスを元気いっぱいにやり遂げました。

厳しさから逃げがちだった彼らが、「死ぬまで練習したい!血が出るまでバットを振りたい!」と一生懸命ボールを遠くに飛ばそうとする姿は、ぼくにたくさんの勇気を与えてくれます。

ふたりとも、今後は、県下の強豪校に進学する予定ですが、この努力は、きっと、来年の春に“結果”という形で証明されるはずです。

塾長をはじめ、応援し、支えてくれる家族や仲間のみんなに感謝しながら、これからももっともっと頑張って欲しいと思います。

また、三好アカデミーは、すばらしい指導とともに最高のクラブハウス(笑)を完備する偉大な野球学校です!

興味のある方は、是非、ご連絡ください。

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2008年12月19日 (金)

Little by Little

Dscn9063_320 先日、定期検診に行ってきました。

経過は良好で、「もうひと踏ん張りだな」と言うことで診断を受けました。

自分の感覚としても、かなり良くなっていると感じます。

少し強めのテンションで投げても痛みは出ませんし、ここ最近では感じなかった感覚を取り戻しつつあります。

リハビリの先生からは、すでにGOサインが出ました。

筋肉一本一本に対するトレーニングから筋肉全体へのトレーニングへ、重さを上げメニューを改善しました。

また、ストレッチや水泳、ジャグジーの効果もあり、前回見られた強い張りはほとんどありません。

このまま焦らず、謙虚に、でもそろそろブルペンに入る準備をしっかりとしなければなりません。

先日、三沢トレーナーからも電話をいただき、近いうちにブルペンでの指導をして頂けると約束してもらいました。

来週からは、大学でも短い冬休みに入ります。そして、1月は定期試験、2月は渡米と大きな山場が連続します。

貴重な時間を有意義に過ごし、不本意な2008年を大逆転で取り戻したと思います!

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2008年12月14日 (日)

Who I am

Cimg4232_320 “自分らしさ”とは、何か?

バイト先の上司は、「物事に対する意見を持っていること、そして、それを口に出せること」だと言ってくれた。

尊敬する友人の父は、「遠慮のない自由奔放さ」だと言ってくれた。

自分らしさを認識することは、イコール最強の武器を手に入れることでもある。

競争の激しいBASEBALLの世界で、ひときわ輝く星になるために、この自分らしさを失わないことは非常に重要な要素である。

調子の良いときはもちろん、どんなに調子が悪くても、それが仮にどん底の状態であっても、それを失わないことが重要である。

それを失ったのが、今のぼくだ。

初めて患った肩痛というケガに苦しみ、常に迷いのある生活をおくっている。

常に下を向いて、前を向いても何も見えない。何も見えないから、また下を向いて足元を確認する。その繰り返しだ。

“自分らしさ”とは、何か?

それは、「恐れ知らずの挑戦心」である。

初めてアメリカへ渡ったときも、4年間野球を離れたブランクより、2週間腕立てと壁当てをしただけの自信が勝った。

初めてアメリカのプロリーグと契約したときも、勝算なんて何もなかった。

アメリカでの生活をすべて面倒見てくれていたチームを捨て、新たな移籍先を求めたときも、テストに合格する保証なんて何もなかった。

本当に勝算なんて何もなかったけど、それでもぼくは挑戦した。挑戦したと言うより、挑戦しない理由がなかった。

もちろん、その挑戦のほとんどが失敗に終わったけど、それでもそのすべてが一生の宝物になった。

今、こうやって野球をやっていられるのも、あのときの一歩があったからだ。

しかし、最近のぼくはそうではなかった。常に勝算を求め、勝ちゲームしかやろうとしなかった。

負けるならやらない、勝ちが見えるまで動かないという姿勢が、無意識に自分らしさを消していた。

しかし、ようやく気づいた。“KEEP MOVING FORWARD”

「過去を振り返らず、未来に向かって進み続ける」、まさに“ルイスと未来泥棒”の精神。

自分らしさを取り戻したとき、やるべきことはただひとつ。それは挑戦、そして新たな一歩。

来年2月にアリゾナで行われる冬のBASEBALL「ARIZONA WINTER LEAGUE」にエントリーし、参加資格を得た。

1ヶ月という短いシーズンで結果を出せば、また新たな道が開ける。

また、きっと行けば何かが起こるはず‥。今までも、そうやって負け試合を勝ちに変えてきた。

それまで全力で準備をする。自分らしく、自分なりの方法で、そして謙虚に、とにかくがんばる!

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2008年12月 7日 (日)

Future Boyz 3

Img_0182_320 今日は、嬉しいことがたくさんありました。

まだまだ未熟なぼくですが、慕ってくれる子どもたちの声がある限り、感謝の気持ちをたくさん込めて、去年より個人的なアカデミーを開講してきました。

今日は、急遽声をかけてくれたぼくの母校である海老名中学校の野球部を引退した中学3年生のふたりと練習してきました。

その内のひとりは、2年前にもこのブログに登場したことのある才能溢れるやんちゃ坊主です。

彼は、中学1年生のとき、より高いレベルを求めて入団したクラブチームで暴力に会い、練習中に逃げ帰ってきてしまうような奴だった。

そのときの彼は、何度も野球をあきらめそうになっていた。

その後、自らの意志で野球を続け軟式野球部に入部したのだが、その活躍を耳にすることはほとんどなかった。

そんな彼と、先日ひさびさ再会した。中学校のグラウンドでぼくが練習していると、そっと駆け寄ってきて挨拶をしてくれた。

そして、「ぼく、高校でも野球をやるんです。今度練習見てください!」と自信満々の表情で言ってきた。

随分と背も伸びていたし、何よりも、あの挫折を経験した子が高校でも野球を続け、やる気に満ち溢れている姿に、何だか勇気づけられている自分がいた。

今日、ひさびさ練習を見たが、やはり彼には才能がある。何でも器用にこなすし、注意されたらすぐに直して次に生かせる。

でも、何だか物足りなさを感じた。「良くできてはいるんだけど、お前ならもっとできるはず‥」と思えてしまう。

彼とよくよく話してみると、やはり今までも出会った多くの指導者に失望感なる言葉をかけられたことが何度もあるらしい。

「どうすれば良いだろう?」と考えていたら、その原因が見えた。彼は、“全力”が出せない。

走らせても充分早いが、一生懸命走っているようには見えない。打たせても上手いが、その気持ちがボールに伝わってこない。

彼自信も、全力の出し方がわからないことに気づいていた。

メジャースタイルの野球では、子どもの内から徹底して“フルスイング”を教え込む。フォームの前に、全力でボールを叩くことをバッティングの原点とする。

だから、ロングトスをやってみた。先日、テレビで見たジャイアンツカップ優勝チームが練習の大半を割くのがロングトスだというのを知ったからだ。

このチームの選手は、今日のふたりと大して体格に差があるわけではないのに、軽々と東京ドームのスタンドにボールを叩き込んでいた。

そして、ぼくと競争させた。競争をさせることで、自然と力が引き出される。

レギュラー、ベンチ云々ではなく、質の高いチームに身をおくことのメリットはそういうところにあると去年アメリカで学んだ。

要するに、彼らは自分の出せる力の限界を知っていて、その力をフルに活用できている。今日の子たちにはそれがない。

でも、それは能力の差ではないと思う。「俺には才能がないんだ。彼らには到底及ばない」と失望することはない。

今やらなければならないことは、野球はもちろん、勉強でも、掃除でも、遊びでも、何でも全力で取り組む姿勢を持つこと。それを自分の心と体に意識づけてやること。

そうしたら、あとは自分を窮地に追い込む。窮地に追い込まれたときの人間が出すエネルギーは計り知れない。

そうやって、技術力・精神力とともにその力をすべて出し切る力、ときにはその力を抜いてみる“余裕”が彼には必要なのかも知れない。今のぼくでも、まだその課題と闘っている。

もともと才能ある選手がそういった技術を身につけたら、もう怖いものはない。

彼は、今日の練習でも、しきりに「ボールが怖い、ボールが怖い」と口にするが、“恐怖”は自分の心が勝手に作り出すものだということを肝に銘じておかなければならない。

ぼくの父が甲子園で付けた背番号“9”は、最後の夏にようやく手に入れた番号だと聞いたことがある。

君は、間違いなくぼくより才能がある。でも、ぼくは、君より努力できる。

そして、今日の夜、早速次回の練習の申し込みがあった。

今日は、自分の不甲斐なさに気持ちの落ち込む出来事もあったのだが、また彼に勇気づけられた。

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2008年12月 3日 (水)

It`s all Good

Cimg0315_320 今日は、リハビリの定期検診に行ってきました。

2週間前の検診から、キャッチボールと強めのシャドウピッチングを本格的に開始し、ダンベルトレーニングもウェイトを倍の重さにし、ブルペン入りに備えてメニューを強化してきました。

その影響から、最近では、筋肉の張りが非常に強くなってきています。

そして、一昨日のシャドウピッチングで肩をひねったような違和感があり、昨日は痛みも出てきたので、練習を早めに切り上げました。

今日、そのことを先生に伝えたら、やはり肩甲骨周辺の筋肉や脇腹に非常に強い張りが見られるということでした。

ただ、それはとても良い兆候だそうです。

リハビリ中に投球を中断している選手の体は、ストレッチの効果で筋肉が非常に柔らかく、よく伸びるようになります。

すると、筋肉が持つ「伸長反射」という特性によって、ちょうど輪ゴムが伸び縮みするように、よく伸びればそれだけ強く縮んで戻っていくわけです。

それを肩に例えると、伸びていくゴムが切れて飛んでいかないように、肩甲骨周辺の筋肉が、それをしっかりと押さえて踏ん張ってくれているのです。

たとえ、それがシャドウピッチングだとしてもその力は非常に大きく、重りをかけたウェイトトレーニングでもなかなか鍛えることができません。

したがって、久々の投球動作ということで、定期的に投げている人よりは疲労しやすくなりますが、しかし、筋肉の状態がそれだけ良くなってきているという意味では良い兆候だといえるそうです。

そこで、今日の診断は、2~3日今のメニューを中断し、プールやジャグジーで筋肉を解すことを重視してやっていこうというものでした。

そして、接骨院などでマッサージを受けながら、練習→ストレッチ→マッサージ、練習→ストレッチ→マッサージで、張りのあるまま練習しないことを心がける必要があるとアドバイスしてもらいました。

リハビリ当初は、接骨院での治療が、今の肩にとってベストな選択肢ではないという先輩やトレーナーのアドバイスを受け、通院を控えていました。

それは、もちろん、接骨院や先生の腕を信じていないというのではなく、自分自身彼らの意見に納得し、今までとは違ったアプローチで肩の治療に取り組みたいという意向もあったからです。

しかし、リハビリを始めて2ヵ月半が経ち、このタイミングで接骨院の治療を取り入れるメリットや付き合い方を新たに指導してもらったので、またお世話になっている先生にお願いしようと思います。

ということで、今日もたくさん勉強して帰ってきました。

今までは、悲観的にこのケガと付き合ってきましたが、最近は、何だか“ケガ通”になった気分で、新たな知識やこの経験が、自分をさらに成長させていることに“若干”気づきはじめている自分がいます。

もうひと踏ん張りといきたいところですが、そう上手くはいかないのがぼくの人生です。

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2008年12月 1日 (月)

Left the Team

Dscn9051_320 先日、お世話になった「YBCフェニーズ」に退部届けを出しました。

お世話になったといっても、たった1ヶ月しか在籍できませんでした。

わがままいって入部させてもらったのに、それを快く受け入れてくれたスタッフやチームメイトのみなさんに何一つ恩返しをすることができませんでした。

最後の練習の日に、投内連携で全力投球を求められ、肩の激しい痛みとともにマウンドを降りました。

翌日の公式戦では、何とかブルペンに入ったものの、どう投げていいのかもわからなくなるぐらい最悪の状態で、結局これが最初で最後の公式戦となってしまいました。

わずかに登板は1回だけ、高いお金を払って用意してもらったユニフォームも1度袖を通しただけで終わってしまいました。

当初、再びアメリカへ渡りたいという自身の強い意向のもとに、12月いっぱいまでという約束をしていました。

しかし、ぼくの肩は、12月に入っても未だに全力投球できません。

このまま、欠席をし続けても、チームやスタッフのみなさんに多大な迷惑を掛けてしまうと思い、直接自分でお願いしました。

もちろん、プレー以外でチームに貢献することはいくらでもできますが、それができなかったことは、自分の力不足であり、判断ミスでした。

往復6時間と毎週末という時間的な制約、交通費とガソリン代、宿泊の手配や風呂、食事を毎週まかなうだけの力は、今のぼくにはありませんでした。

また、千葉県では断トツの力を持つ強豪チームだからこその雰囲気、練習や試合で求められる質、監督さんやコーチの意向に、自分の肩がついていけなかったのも力不足でした。

やはり、少し肩の調子がよくなったことで、登板感覚を取り戻させてもらおう、トライアウトまでの調整をさせてもらおうという自分勝手な軽い気持ちと油断が、このような結果を招いてしまったと思います。

今後は、また一人ぼっちのフリーエージェント生活と孤独なリハビリ生活が待っています。

いつもは、謙虚に、冷静な立ち振る舞いを心がけているつもりですが、ときには迷い、判断を誤ることがまだまだぼくにはあります。

今回も、安易な判断で、チーム関係者をはじめ、チームを紹介してくれた知人に対し泥を塗る形になってしまい深く反省しています。

しかし、こんなぼくにも無償で協力してくれる二人の心強いトレーナーさん、そして、いつも応援してくれるみなさんの支えがあります。

そのことを常に心に留め、絶対にあきらめることなく、またマウンドへ上がり、全力投球という形で恩返ししたいと思います。

今後とも、よろしくお願い致します。

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