« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月31日 (火)

The Day Comes

Img_0854_512 あす、1日だけ入院して、いよいよ手術を受けてきます。

とにかく、無事終わることだけを祈って、あすは早めに家を出ます。

世の中、お金持ちの人間がいれば、貧乏人もいる。

背の高い人がいれば、背の低い人もいる。

だったら、1度手術をすればもとに戻らない肩が常識なら、生まれ変わったかのように何ひとつストレスのない“RUBBERARM”があっても良いはずだ。

今まで、どうがんばっても出せなかった90mphに手が届くかもしれない。

今まで、どうがんばっても投げれなかった3連投、4連投が簡単にできるようになるかもしれない。

もちろん、そんなことあるわけないだろと思うのが常識かもしれないけど、そうなる可能性だってゼロではない。

もし、その可能性がゼロだと言い切れるのなら、ぼくが1パーセントでもいいからその可能性を生み出してみせる。

もう、最後の手段的な悲観的考えはこりごりだ。

これからは、さらなるレベルアップの手段として、1日でも長く野球を続けるひとつの方法として、手術があってもいい。

これまで、ずっと手術をすることに悩み続けてきた。

正直、本気でびびっている。

きのうは、口にするのも嫌になるぐらい不吉な夢をみた。

でも、今はちがう。

「また元気よくボールを投げたいからやる」、ただそれだけのことでしかない。

とにかく、まずは無事に帰ってくることが大事。

そしたら、あとは長い長いリハビリを楽しむ。

こんなこと、普通に生活していたら絶対にできないことですからね。

痛みより、苦しみの方が、ぼくは断然得意です。

| | コメント (0)

2009年3月29日 (日)

Graduation

Img_0970_512 ぼくが主催する“Y`sアカデミー”にも卒業の季節がやってきました。

小学生5人と中学生2人の計7人が、期待に胸ふくらませ次のレベルへと進学して行きます。

野球を続ける子もいればそうでない子もいますが、彼らのあの野球に対する直向な姿勢は、きっと彼らの未来を明るいものとするでしょう。

ぼく自身、彼らからは、たくさんの勇気と希望をもらいました。

調子が悪かったり、結果が思うように出なかったときも、彼らと一緒に野球をすると自然と清々しい気持ちになりました。

できることなら、ずっと彼らと一緒に野球をしていたいですが、これからは毎日毎日厳しい練習が待っています。

しばらく会えなくなるのは本当に寂しいですが、また風の便りで彼らの活躍を耳にできることを陰ながら期待して健闘を祈りたいと思います。

そんなすばらしい卒業生の中で、一番長い付き合いで、一番手のかかる中坊と、今日は高校入学前最後の練習をしてきました。

小学生のときから才能を持てあまし、シニアリーグでは挫折も経験しました。

初めてふたりで練習した2年前の春も、思春期特有の照れ隠しといつものおちゃらけた態度で、まともに練習できなかったのを覚えています。

そんな彼が、見事県下の私立高校への進学を決めました。

もちろん、硬式野球部に入ります。

今では、毎日のように「練習してください」とメールをくれるようになりました。

今日も、「はやく練習に参加したい」と高まる気持ちを抑えきれず、フリー打撃では、そんなに大きな当たりはいらないと言っているにもかかわらず柵越えを連発していました。

体も技術も見違えるほど大きく成長しましたが、何よりも野球が好きでいることをぼくは嬉しく思います。

あのチームを変えた辛い時期においても、ぼくは彼の才能を持ってすればどこへ行っても問題ないと確信していました。

それよりも、なによりも、「野球が好きだ」という気持ちだけは絶対に守ってあげてほしいとお母さんにもお願いしていました。

だから、今こうやって彼が、一生懸命、生き生きと、楽しく野球をしている姿は、お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さんの支えあってのものだと思います。

JUNONボーイになってヘキサゴンに出るのもそれはそれですばらしい“夢”ですが(笑)、まずは高校へ行って勉強に部活に一生懸命がんばる事が一番大切です。

また、何かあったらいつでも連絡してください。

Y`sアカデミーのメンバーは、ぼくにとって特別な存在です。

日本にいても、アメリカにいても、みなさんのことは一生忘れません。

そして、いつまでも応援しています。

GOOD LUCK!!

| | コメント (0)

2009年3月24日 (火)

The Workout Plan

Img_0763_512 先日、トレーナーの三沢さんに食事に誘って頂き、手術や今後のトレーニングプランについて相談してきました。

自分の覚悟はもう決まっていますが、あくまでも客観的な視点として、三沢さんの意見を聞きました。

ぼくの意思を最大限尊重して頂き、さらに彼の知識と経験をおり混ぜて、やはり答えは“Yes”でした。

3時間も4時間もお話しをし、改めて気づかされるさまざまな可能性を探り、でも、やはり現段階の肩の状態を総合考慮すれば答えは自ずから見えてきました。

手術することのリスクと手術しないことのリスク、どちらを取るか?

一度手術してしまえば元には戻らないことのリスクは非常に大きいものです。

絶対に治る保障はないし、仮に今の痛みが軽減されて投げれるようになっても、それは手術する前の100の状態ではなくなる。

逆に、手術しないことのリスクも非常に大きいものです。

渡米前の練習で見せた投げ込みは、常識を超えた回復力だったと三沢さんは言います。

あの短期間で痛みなくあれだけの球を投げれたことは、自信を持っていいことだと言ってあのときもアメリカへ送り出してくれました。

たしかに、試合で120の力を出すためにはさらに時間が必要であり、急に登板を余儀なくされたことで痛みが再発してしまったけど、じゃあもう一度ゆっくり時間をかけて同じリハビリをすれば結果は違ったかもしれないと考えることもできます。

しかし、結局、根本的な問題の解決には至らなかった場合、その時点で手術を決意し復帰に9ヶ月を要したとしたら、さらに完全復活は先延ばしになりシーズンを棒に振っていくことになります。

「だったら今しかない。どうせリスクを背負うなら一か八かにかけてみよう!」

結局、人生というものは、数学の計算式のように決まったルールも決まった答えもないんだろうと思います。

どちらに転ぼうと、もちろん大成功する可能性だって大いにあるわけで、だったらやるしかないということです。

今日は、はっきりと自分の意思で、「手術をします!」と先生に伝えてきました。

そして、手術前検査をいろいろと受けてきました。

採血検査に尿検査、心電図や肺活量測定、X線検査などなど。

どんなに野球で辛い思いをしても耐えられる自信があるのに、やはり注射や血にはめっぽう弱く、今日もひとり顔面蒼白で病院をあとにしました。

大きな病気と闘う患者さんとすれ違うたびに、「情けない‥」と恥ずかしさがこみ上げてきました。

| | コメント (0)

2009年3月21日 (土)

Yes, I can

Img_0458_512 先日の診察から1週間を頂きました。

来週の火曜日までに、手術をするかどうかの最終回答を先生に伝えます。

もちろん、自分の中ではこの痛みが取れるなら何でもする覚悟でいますが、やはり全身麻酔であることからしても、決して簡単な手術ではないことを理解しておかなければならないと先生に指摘されました。

手術の内容は、まず内視鏡手術によって行われます。

何度か注射をして損傷が確認されている「滑液包」をすべて摘出します。

滑液包は、関節にある少量の液体を含んだ平らな袋で、皮膚・筋肉・腱・靭帯などと骨がすれる部分に位置し、摩擦を減らす役割をしています。

この滑液包に炎症が起きることを滑液包炎と言い、痛みは2~3日から数週間続きしばしば再発することが特徴です。

ですから、一度マウンドに上がって肩を痛めても、また中4~5日休むと少し投げれるようになるぼくの肩の状態に説明が付きます。

次に、あそびができてゆるんでしまった「靭帯」を縫合等して、しっかりと元の強度に戻します。

靭帯は、骨と骨とをつなぎ関節を形作る役割があり、若干の弾力性があることから、張力がかかると次第に伸びていく性質があります。

ですから、そのままにしておくと靭帯が伸びすぎ、関節の強度が落ちたり習慣的な脱臼の原因になります。

そして、最後に、関節内にある複数の小さな炎症を取り除くクリーニング作業をし手術完了です。

このような手術を受けることで、同じような症状を持った選手の内75%の人がまたマウンドに戻って行きます。

しかし、その内の4人に1人になる可能性も充分にあります。

グラウンドに戻るまでに3ヶ月、ブルペンに入るまでに6ヶ月、マウンドに上がれるようになるには8ヶ月~9ヶ月かかると言われるリハビリを乗り越えなければなりません。

先生も、どうしても上のレベルで、どうしても野球で、飯を食って行きたいという人でなければ手術を受ける必要はないと断言しました。

でも、「君を見ていると、今、手術をした方がいい」と先生は言いました。

だから、やはり、答えは“Yes”。手術を受けます。

アリゾナで故障者リスト入りしてから、シーズン最終戦でマウンドを下ろされてから、そして前回の診察を終えてから、自分自身と向き合ってじっくり考えました。

男の約束を守って一度は形式上引退したけど、やはり手術をしないでこのまま終わって行くという選択肢だけはありませんでした。

だから、先生を信じて、自分を信じて、またマウンドに上がる自分を夢みながら、長い長いリハビリ生活に耐えて行こうと思います。

| | コメント (2)

2009年3月17日 (火)

Why?

Img_0892_512 今日は、今後の治療方針について相談しに、鋼管病院の渡辺先生のところへ行ってきました。

以前から、トレーナーの三沢さんに、治療方針についてお医者さんに相談するときは常に最悪の事態を想定するようアドバイスをもらっていたので、昨日から、先生に聞きたいこと、クリアにしておきたいことをしっかりと頭の中で整理して診察に挑みました。

まず、ぼくが一番知りたかったことは、なぜ4割~5割の力ではまったく問題なく投げれるのに、いざマウンドに上がって100%~120%の力になると突然激しい痛みが出てくるのかということ。

つまり、投げるという動作は同じなのに、なぜテンションによって痛みに差が出るのかということです。

ぼくは、今まで5割程度の力で投げれるのならそんなに大したことはないんじゃないかと勝手に思っていました。

本当に痛かったら、1割でも2割でも投げることはできないはずだと解釈していたんです。

しかし、それは誤った考え方でした。

そうやって、ごまかしごまかし投げ方を変え、テンションを変えて投げ続けていたせいで肩に「あそび」ができてしまったんです。

本来、しっかりと関節に収まっていなければいけない骨が痛みを避けるために関節から離れ、それにしたがって腱や靭帯も引っ張られゆがみが生じた状態を「あそび」と言います。

しかし、実際にバッターと対戦すると途轍もない力が肩に掛かりますので、結局もとの位置に戻され、炎症に骨が当たり痛みが出ると言うことです。

やはり、無理をするということには、していい無理といけない無理があるということなんでしょうか?

今のぼくは、無理して投げ続けていたせいで、全力で腕を振る感覚や本来の投球動作を完全に見失っています。

今回の場合、何とか野球を続けたい、少しでもいいから投げたいという思いが悪循環を生み出していました。

最終的な先生の見解では、その「あそび」の部分が5割程度の投球を可能にする代わりに腱や靭帯といった部分を傷付け、治ったかなと思ったけど結局マウンドに上がってみたら痛かったという状態を作り出していたのではないかということです。

今日は、先生と長々お話させて頂いたおかげで、いろいろとクリアになった部分がたくさんありました。

他にも山ほど患者さんがいるなかで、嫌な顔ひとつせずぼくの質問にすべて答えて頂き、「何とか治してあげたい」という言葉に完全復活の希望を見出しました。

やはり、ドクター選びは相性、無理は禁物です。

| | コメント (0)

2009年3月11日 (水)

YOSSHAA!!

Cimg4002_512 よっしゃー!

大学卒業しました!!

今日、試験の結果を確認しに大学まで行ってきました。

この目で確認したので、間違いありません。

7年目にして初めて一つも単位を落とすことなく、履修科目すべてを取りました。

2003年の春に入学して以来、7年掛かりました。満期まであと1年というところでした。

その前に2年浪人しているので、高校を終えてから9年、学生生活は21年にもなりました。

アメリカで野球をやり始めてからというもの、「大学がなければどれだけ楽か」、「もっと野球に集中できるのに」と、何度も何度も自問自答しました。

野球での成功を願う者からは「大学をやめればいい」と言われ、卒業を願う者からは「野球をやめればいい」と言われ、その都度複雑な気持ちになりました。

しかし、どちらの選択肢もぼくにはありませんでした。

野球を再開したときにやめようと思えばやめれたけど、文武両道で行くと決意し休学届を出したのは自分自身です。

アメリカの独立リーグでプレーしながらオフシーズンは大学に通うという今まで誰も成し得たことのないチャレンジにやりがいも感じていました。

毎日のように嫌味を言われ、友だちからバカにされても、その都度「いつか見てろよ」と悔しい思いを抑えました。

バイト先のお客さんからも「親を泣かすな!」と言われ、まわりの人間がぼくの卒業を賭けの対象にしてると聞いたときは、本当に悔しかった。

なにも悪い道に進んだわけじゃないのに、こんなに頑張っているのに誰も認めてくれないことが悔しくてしょうがなかった。

でも、信じていました。

この経験がきっと将来役に立つということを。

大学を卒業した学歴とか、法学部で学んだ知識とかではなく、最後まであきらめずにやり遂げたという事実こそが将来のぼくをきっと助けてくれるんだということを信じていました。

本当は今日すごく自信がなかったけど、きのう先祖のお墓参りに行っておいて本当によかった。

やはり、ぼくの神様は、しっかりとぼくのことを見てくれていました。

最近は、暗いニュースばかりで、このブログを見てくれている方々には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、この結果が、少しでも次の世代の子どもたちの新たな選択肢の一部となれば幸いです。

帰りの電車の中では、何度も何度もポケットの中でこっそりガッツポーズしながら家路につきました。

あとは、借りた学費を全額返して、本当の意味での卒業を目指します!

| | コメント (4)

2009年3月 8日 (日)

Retire ♯24 from Baseball

Img_0776_512 今回の渡米前、ある人と重要な“約束”をしていました。

しかし、その約束を守ることはできませんでした。

一番負けてはいけない人に負けてしまった。最高の屈辱を味わいました。

そこで、今回のArizona Winter Leagueをもって、私落合陽は、現役を引退することになりました。

今まで応援してくださったみなさま、サポートしてくださった方々には本当に感謝しています。ありがとうございました。

第二の人生は、“Gypsy”として生きていくことにしました。

1ヶ月を過ごしたYuma をはなれ、ウィンターリーグで知り合った選手の車をヒッチハイクし、いざFullertonへ向かいます。

アリゾナ州からカリフォルニア州まで3つのボーダーパトロールを突破し、3時間半かけてその選手のアパートへ到着しました。

初日は、その選手の友達が持つ“Limo”に乗って夜のL.A.をビーチまでドライブ。

2日目は、その選手の友達に案内してもらいSanta Monicaでショッピング。

3日目は、ジプシー根性丸出しで一人旅。

見知らぬ乗客に道を聞きながら電車とバスを乗り継ぎ、HollywoodHighland,Chinese Theatre,The Walk of Fame,Rodeo Drive,Beverly Hillsとまわり観光。

4日目は、またまた電車とバスを乗り継ぎ、憧れのDodger Stadium,Chinatown,Disneylandとまわり北から南へ大移動。

Dodger Stadiumではバス代をケチり道に迷った挙句3時間歩き、Disneylandではせっかく車で10分の距離に滞在していながらバスを乗り間違え、結局1時間以上かかってしまいました。

やはり、慣れない土地でジプシーをやるには苦労が絶えません。

そして、無事日本へ帰国しました。

5日間思う存分遊びまわりたくさん気晴らししましたが、やはり電車やバスの待ち時間ではすぐにシャドウピッチングをしてしまいます。

男の約束を守ってせっかく現役を退いたのに、もう野球がしたくなりました。

そこで、私落合陽は、本日付けで現役復帰を宣言させて頂きます!

今回の屈辱と失敗をばねに、また明日から、元気いっぱい野球選手を続けて参ります。

| | コメント (4)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »