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2009年6月21日 (日)

Starting a New Job

06_400 先日、「海老名シニア」のコーチから突然連絡があり、急遽臨時のピッチングコーチを務めることになりました。

海老名シニアといえば、海老名を代表する中学硬式クラブチームであり、ぼくの出身校である「向上高校硬式野球部」の大先輩が監督を務める全国に名を馳せた屈指の強豪チームです。

輝かしい未来のある子どもたちの野球人生の中でもっとも大事なこの時期に、いちコーチとして彼らの手助けができることを大変光栄に思います。

実は、ぼくが、今こうやって現役で勝負できる選手になったのも、シニアでの経験があったからだと思っています。

港東シニアリーグ、通称“MOOSE”と呼ばれる全国最強チームで、死ぬほど厳しいど根性野球に3年間耐えてきました。

ごく最近までは、一生の汚点として心に刻まれていた最悪の思い出でしたが、あれ以降、絶対に折れない強い精神力が自然と身に付いていました。

また、野村克也総監督をはじめ、今年2月にお亡くなりになった野球殿堂の山内一弘氏、当時Seattle Marinersの3Aで活躍していたMac Suzuki投手など、直接彼らから教わった投球術は今でもぼくのピッチングスタイルの原点になっています。

今では、ある事件をきっかけとして廃部となり過去の伝説となってしまいましたが、地元海老名の名を胸に付けるもっとも身近なチームで、当時の恩返しができればと思い引き受けることにしました。

ただ、あくまでも、ぼくは現役にこだわるプレイヤーです。

これで、ぼくの指導者としての第二の人生がはじまったわけではありません。

お話の中で、無償であるかわりに体を動かしてもらって構わないというお言葉を頂きましたが、右肩に大きなケガを抱えるフリーエージェントのぼくにとって、練習場所があること、キャッチボール相手がいることは、金銭以上の大きな価値があります。

だから、できる限り彼らと一緒に体を動かして、できる限り彼らの近くで見本を見せて、知識や経験を伝えて、ときには愚痴を聞いたり、笑ったり、そういう現役だからこそできる指導をぼくのスタイルとして大事にして行きたいと思います。

そして、そのことで、今携わる海老名の少年野球の子どもたちにも、新たなチャンス、次のステージを用意してあげられたらとも思います。

海老名の野球が抱える問題、それは地元海老名をフランチャイズする硬式クラブチームがひとつもないこと。

「海老名」の名を冠にするチームはあっても、本拠地は相模原というのが現実です。

チームの大半が相模原市民で、海老名の少年野球でプレーした選手はごくわずかに留まります。

ぼくは、中学時代、東京の港区と世田谷区を本拠地とするチームで、聞いたこともない海老名という町から来る田舎者というレッテルを貼られ、いつも肩身の狭い思いをしていました。

やはり、野球というのは、WBCや甲子園でもわかるように、その国、その学校、その地域を盛り上げるすばらしい手段です。

だから、もっともっと海老名の子たちに来てもらって、さらに、わざわざ来てくれる他の地区の選手たちと力を合わせて、海老名を代表して堂々と全国で戦ってほしいというのがぼくの願いでもあります。

指導者としての師匠である父からは、“コーチ”という肩書が付いても「常に謙虚であれ」という言葉を頂きました。

次の渡米までの短い間ではありますが、少しでもチームの勝利に貢献できるよう、また、少しでも地元海老名を盛り上げられるよう、全力で、責任感をもって、プレイヤー兼ピッチングコーチを務めて参りたいと思います。

このブログを見てくださるみなさん、ぜひ海老名シニアを応援してください!そして、期待していてください!!

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