« Defence is the Best Offence 2 | トップページ | Tokyo City Tour »

2009年7月 7日 (火)

Defence is the Best Offence 3

04_320 そして、最後のこだわり、それはピッチャーとしての“誇り”と“決意”である。

野球というのは、たとえ審判が“PLAY BALL”と叫んでも、たとえバッターが準備万端にフルスイングしても、ピッチャーがその一球を投じるまでは決して始まらないスポーツである。

誰よりも高い位置でゲームを見渡し、その注目が途切れることはない。

その日の流れも、時間も、勝敗も、すべてはピッチャー次第といっても過言ではない。

それだけ、ピッチャーというのは特別な存在なんだと知ってほしい。

もちろん、天狗になれとか、調子に乗れというのではなく、ピッチャーであることを胸を張って自慢できるぐらい誇りに思っても良いという意味である。

なぜなら、マウンドには、それだけ大きな責任と重圧が伸しかかるからである。

よく、指導者の中には、「うちの選手は、ブルペンではすごく良いのに、大事な場面になるとすぐプレッシャーに押しつぶされる。」と嘆く人がいる。

ぼくは、いつも、子どもたちに指導をするとき、まずはじめにマウンドの厳しさ、恐ろしさを説明する。

その上で、それに値する厳しい練習が待ち受けていること、他にもポジションは山ほどあることを説き、それでもピッチャーをやりたいかどうかを確認する。

技術的な向上は、今後、高校・大学と進むにつれて大いに期待が持てるが、精神的な面は成長とともに固定観念が身につけば身につくほど教えるのが難しい。

そして、その精神的な強さ、決意、覚悟が、ピッチングの9割を占めるとも言われている。

死んでも、マウンドを守る覚悟はあるか?

死んでも、チームを勝利に導く覚悟はあるか?

どんなにエラーや配球ミスがあっても、敗北の全責任を負う覚悟はあるか?

以前、アメリカで、「KAMIKAZEほど怖いものはない。」とぼくに呟いた人がいた。

野球においても戦争においても、人生においても、意を決した者を止めるのは容易ではないということだろう。

体格や戦力、軍事力に勝るアメリカが、意を決して向かってくる小さな戦闘機に恐怖を見たというのは、おそらく間違いない。

実際に、野球の試合でも、すごい球を持っているのになぜかいつも打たれる選手、見た目は大したことないのになぜかいつも打たれない選手というのがにいる。

観客の視線や敗北の恐怖、大舞台でのプレッシャーなんていうのは、ピッチャーが固めるべき決意の大きさにくらべたら大した量ではない。

ぼくが、あんな球でプロのマウンドに上がれたのも、肩がこんな状態になっても野球を続けるのも、飯もまともに食えないのに胸を張って「職業は野球選手だ」と言えるのも、すべての理由はここにある。

|

« Defence is the Best Offence 2 | トップページ | Tokyo City Tour »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。