For The Time Being
昨日をもって、いったん臨時ピッチングコーチの職を離れることになりました。
今後は、またリハビリに専念し、復帰に向けて最後の追込みを掛けて行くことになります。
お世話になったこの4ヵ月は、ぼくにとって本当に刺激的な毎日で、たくさんのことを勉強させられる日々でもありました。
ぼくが、彼らの成長を3年間付きっきりで見届けられないことは、最初からわかっていました。
「限られた時間の中で、ぼくにできることはなにか?」
そのことを常に頭におき、与えられた時間と与えられた機会を大切にし、最善の努力を尽くしてきました。
ときには厳しくあたり、ときには体に異変が起きる程の練習を課し、常に笑顔で楽しくというわけには行かないときもありました。
子どもたちも、「ピッチャー陣だけどうして?」、「ピッチャーをやるにはこんなに大変な思いをしなければならないの?」、そう思ったこともあったでしょう。
しかし、それもすべて、ぼくがチームを去ったあとに彼らが自ら創造し、行動に移し、実現できるようにするためのものでした。
ぼくがいるからできる、いないからできない、だれかが見てるからやる、見てないからやらないでは、ぼくがチームに携わった意味はありません。
そして、それは、ぼくの求める“魂”ではありません。
そういう意味では、最近の彼らは、彼ら自身で仲間を正し、野手の見本となり、「ピッチャー陣のくせに~」という言葉が彼ら自身から発せられるようになりました。
そんな彼らの成長をぼくは誇りに思うし、そんな彼らと一緒に野球をやるチャンスをくれたすべての人に感謝しています。
唯一心残りは、100人近くいるメンバーの中で、最後のミーティングに参加したのがたったの10人であったということです。
その他は、顔も名前もわからない、足が速いのか遅いのか、どこが長所で短所なのか、まったくわからない選手ばかりだということです。
しかし、ぼくに与えられた時間と機会は、本当に限られていました。
だから、彼ら10人には、ぼくの“魂”を誰よりも多く分け与えたつもりです。
彼らのことは、プレースタイルから性格、長所に短所、学校の成績から家庭環境まで、すべてを把握しています。裸の付き合いもしました。
彼らが、きっといい流れをチームにもたらしてくれるとぼくは信じています。
そして、記録でも記憶でもなく、ぼくがこのチームにいたことの証を彼ら自身が証明してくれれば、ぼくがこのチームに携わった甲斐があったと言えます。
やはり、ケガの治療には、「太陽の光」よりも「希望の光」です。
チームに行くことでリハビリの時間は減ったけど、逆に回復のペースは明らかに速まっています。
彼らの元気なパワーをもらい、ぼく自身も有意義な時間を過ごさせてもらいました。
今後も、肩の回復具合や渡米の時期を考慮しながら、またいつ声を掛けられてもいいように、コーチの準備もしっかりとして行こうと思っています。
また会える日まで。。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
海老名リトルシニア1年のKsです
僕が休んでる時に辞めてしまうなんてビックリしました
どうか早くけがを治して復帰してください。
僕も早くけがを治します。
今までありがとうございました
投稿: ベースボールマン | 2009年11月11日 (水) 23時06分
大丈夫、途中で見捨てたりはしないよ。
お前ら1年ピッチャー陣は、俺が最後まで責任をもって面倒みる!
俺が戻るまでにやることやっとけよ。厳しくなるぞ!
投稿: Yoh | 2009年11月12日 (木) 01時14分