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2010年12月31日 (金)

The End of 2010

Img_0046_400 結局、今月は最後の最後までケガに苦しみ6年目のシーズンを終えました。

今日行われた大みそか恒例の海老名ダックスズOB会も、1年の締めくくりに相応しく楽しい時間を過ごさせてもらいましたが、終わってみれば3ヶ所の新たなケガとなってしまいました。

思い返してみれば、今年は一年間、中1日で2連投のリハビリローテーションを守り続けてきました。

シーズンインがなければシーズンオフもなく、ネットに向かってボールを投げ、フェンスに向かって走り続ける日々。

何のためにやっているのか?

果てしなく続く挑戦の道のりで足を取られそうになったとき、やはり今年も仲間の協力と温かい応援の声がぼくの背中を後押ししてくれました。

冷たい言葉を掛けられることも珍しくはありませんが、そんな一言もぼくにとっては闘士を燃やす火種となります。

今年は、何ひとつ証明できませんでした。

マウンドの上で、みなさまに恩返しすることもできませんでした。

この小さな小さな積み重ねが7年目のシーズンで実を結ぶよう、自分を信じて、神様を信じて、来年も歩んで参りたいと思います。

明日は、ひとまずゆっくり休み、また来年も2日から江ノ島の海練で2011年のスタートを切ります!

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2010年12月24日 (金)

Sportsmanship Seminar 2010

Dsc04003_512 去年、シニアリーグの臨時コーチを務めてから、ある審判さんとよくお話しをさせてもらう機会があった。

選手からすれば、審判はただの“脇役”、どう考えたってプレーした方が楽しいだろうとぼくは勝手に思っていたが、その方はとにかく楽しく、熱心に、審判やルールの話をぼくに聞かせてくれた。

そのころは、まだ、メジャーまであと少しのところで孤軍奮闘する“侍”ジャッジがいるなんて知る由もなかったが、彼はそのころから「アメリカにすばらしい審判がいる」とその活躍を知らせてくれていた。

今年になり、オープン戦ながらメジャーの試合で主審を務めたことが話題になり、その審判はTVやニュースでしばしば取り上げられるようになった。

その人の名前は、平林岳氏。メジャーリーグ傘下の3Aで審判を務める唯一の日本人である。

その平林さんが、ぼくの地元海老名でスポーツマンシップセミナーの講師を務めてくれた。

彼が初めてメジャーの審判になりたいと思ったのは、14歳のときだったらしい。

現在、彼は44歳、30年ものあいだ“夢”を追い続けていることになる。

そして、その“夢”はまだ実現していないと前置きした上で、それでも“夢”をあきらめなければ「少しは」近づけるとメッセージをくれた。

ぼくが、初めて“夢”を持ったのは小学校6年生のとき。それから16年が経った。

今の何もできない状況の中では、進むべき道のりの最終地点が見えなくなるほどの距離を感じることがある。

しかし、あの12歳の少年を思い返せば、たしかに「少しは」近づいているように思えた。

ぼくもハンバーガーの味は山ほど知っている。

捨ててあったピザを食べたことだってある。(笑)

ずっと思い続けていれば、どんなに果てしないゴールも“夢”でなくなるときがくる。

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2010年12月16日 (木)

I hope you Enjoy

Cimg0984_320 本日をもって、今シーズンのY'sアカデミー家庭教師部門をぶじ終了することができました。

今年の夏から、複数の企業様の協力のもと、家庭教師レッスンという初めての仕事にチャレンジし、新しい出会い、喜び、発見や勉強をたくさんさせてもらいました。

良い結果や練習の成果がすぐに現れることもあれば、うまく行かないこと、気持ちが伝わらないこともたくさんあります。

心ない言葉を浴びせられたり、外部指導に批判的な人たちの声を聞いたり、寂しい思いになることもありました。

まだまだ未熟な自分を痛感し、期待に添えない歯がゆさを持って電車に揺られることも少なくはありませんでしたが、最後の最後まで子どもたちが笑顔でいてくれたことがぼくにとっては何よりの支えとなりました。

また、ボランティア時代にはなかった責任感や言葉の重要性、時間やお金の大切さなどなど、今さらながらあたり前であることの再認識をすることもできました。

実は、この挑戦を始める前、ぼくにはかなりの不安がありました。

些細なことではありますが、意外に失うものが多く、変化を求められることが少なくはなかったからです。

しかし、“チャレンジ”することに“犠牲”は付き物です。

失敗することやうまく行かないことはあるけれど、その犠牲を恐れずにトライし続ければきっと“成功”するために必要な何かを発見することができる。

今は、このようなかたちで野球に携えることを心から嬉しく思います。

そう言えば、スポーツクラブ最大手でも、いよいよ本格的に子どもの野球スクール事業に乗り出しました。

ぼくら個人アカデミーにとっては巨大なライバルであり、同時に野球ビジネスとしての指導を社会の常識にできる唯一の存在であるとも言えます。

ますます変化を見せる“世界”の野球に来年も必死に食らいつき、更なるY's流コラボ野球の発展に全力で努めて参りたいと思います。

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2010年12月 6日 (月)

BlackBox

Photo023_400 ボールが少しはまともに投げれるようになっても、体はまだまだ完全には戻らない。

そう痛感しているのが、最近よく来る首の痛みである。

以前はほとんど気になることがなかったが、最近では、投球動作や三沢ランジでの負担をもろに受けるようになった。

きのうはまったく動けず、今日はジョギングやストレッチでケアしようとしたが予想以上に悪く、久々「いるか整骨院」にお世話になりました。

院長の山下先生が野球出身なので、アスリートにはお勧めの整骨院です。

以前紹介した痛みを瞬時に軽減消失させる“REBOX”に加え、世界中でもっとも売れている超音波治療器“PHYACTION”も導入されていました。

しかも、これをつなぎ合わせてダブルで患部を治療し、先生の施術と合わせてトリプルケアです。

お陰で、あすはまともにトレーニングできそうなまで症状は軽くなりました。

最近は、本当にコンディションが良かったし、電気慣れしたくないという自論もあったので、極力自分の体は自分でケアするよう心がけていました。

しかし、プロの施術とハイテク機器を目の当たりにして、やはり限界を感じますね。

これからは、これらの選択肢も上手に使いこなして行きたいと思います。

いるか鍼灸整骨院 046(233)9914 海老名市国分寺台2-4-9

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2010年12月 1日 (水)

RubberArm is Back.

◆術後ブルペン3回目 http://www.youtube.com/watch?v=lw-9oox4EUc

◆2009年 手術直前 http://www.youtube.com/watch?v=RCAf-JHrzLM

◆2007年 好調維持 http://www.youtube.com/watch?v=A3gFhd4vWpg

201011292312223_400 ちょうど、昨日、2006年から撮りためたピッチングビデオを見返して、その変化に奇跡を見た。

術後のリハビリを終え、ようやくグラウンドへ戻ったのが2009年のXmas。

これまでに投げたボールの数は、6000球を越えた。

走りに走った三沢ランの数も、2300本に達した。

ぼくが掲げる一大プロジェクト“進化の手術”は、ここに来て少しずつ実を結びはじめている。

マイナスをゼロに戻す手術ではなく、プラスをプラスαに変えるための手術。

痛みに耐えた手術は、ぼくに連投する力を与えてくれた。

一度ブルペンに入ると1週間は休息が必要だった炎症がなくなり、今では最大3連投までなんの違和感もなく投げれるようになった。

これまでに投げたボールの数は、肩まわりの筋力を力強く、そして柔らかくしてくれた。

今まで、痛みの恐怖から力を失っていた手首のリリースが戻り、最後の最後でボールを押し出す力強さが戻った。

走りに走った三沢ランの数は、ぼくのピッチングを大きくしてくれた。

先日の三沢トレーニングで、走る歩幅が広くなっていることを指摘され、走り込み=下半身強化という先入観がなくなった。

ストライド走法によって投球幅は176cmから190cmに広がり、後ろに残りがちだったかつての投球フォームは前へ大きく躍動した。

残りの課題としてぼくが掲げるのは、30球以降極端に落ちる筋持久力の回復と肘をもう少し下げて投げる理想の投球フォームの実現である。

今日の三沢トレーニングでは、その点の解決策を助言して頂き、これまでの成果から結果が出るのは時間の問題だろう。

痛みを取り除くだけの手術であればマイナスをゼロに戻すという表現になるだろうが、手術前、ましてや状態が悪くない時期であっても治らなかったことが今になって良くなっている。

これこそ、まさに、“進化のための手術”。

ぼくのE-mailアドレスやペンネームで使われる「RubberArm」という言葉には、柔軟性に富んで柔らかく、すべての衝撃を吸収して弾き返すゴムのような腕という意味がある。

毎日ブルペンに入り、休まず投げ続けるリリーフピッチャーに対する賛辞であり、恩師キャッシュ・ビーチャムがぼくを形容するために用いたお気に入りのニックネームでもある。

この手術を完全に証明するために、ぼくは意地でも突き進む。

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